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「ついで神は『大空よ。水の間にあれ。水と水との間に区別があるように。』と仰せられた。」(創世記一・六)。

十字架の働きは分離することです。神の光がやみの淵のおもてを照らし、その真の状態を暴露しました。これらのとてつもなく、広大で、荒涼とした水が、暗やみのおおいのしたに淵のように深く隠されていました。

真の状態を認識することはたやすいことではありません。しかし光がやってきました。もはや隠れていることができません。神の光が照らせば照らすほど、非常に大きく、おびただしい汚れがあらわになります光が清めるのではありませんむしろ、それは見苦しい恥を暴露します

神の光の照らしの下で、人は罪を深く悔いるようになります彼らが以前慰めを受けた事柄を調べることには価値がないことに、彼らは気づくでしょう罪深い命と性質の邪悪さは、真の評価を受けるでしょう神の十字架の分離する力を知るのは、わたしたちが落胆し、罪を悔いている、そのような時です

わたしたちの罪(ローマ六・六、十一)自己(ガラテヤ二・二〇)、肉(ガラテヤ五・二四)、この世(ガラテヤ六・十四)、この世の幼稚な教え(コロサイ二・二〇)は十字架につけられました。死は分けます。死は大きな分離、分解、離脱です。死はいっさいの関係を断ち切り、すべての絡みつくものから解き放ちます。

十字架なしに、わたしたちは価値のないものから分離されることはできません。キリストの死との連合によって、わたしたちは価値のないものから分離されます。わたしたちは再生されましたが、罪、自己、肉、この世、この世の初歩的教えが依然としてわたしたちをしっかりと捕らえ、引きずり回すことができます再生された後、もしわたしたちが経験的にキリストと共に死ぬなら、わたしたちは「分離された」人となるでしょう

十字架のしるしは、わたしたちが天的な民であって、この世の人々から分離されていることの証拠です。神の光は、わたしたちに自己を裁かせ、自己を裁くことによってわたしたちを十字架に導き、それを通して解放を得させます

『創世記を黙想する』、ウォッチマン・ニー著、日本福音書房pp.86-88
(ただし聖句は新改訳聖書から引用)

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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