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ジョージ・ミュラー著、『祈りの力』より、pp.118-122(マルコーシュ・パブリケーション)

尊い救い主イエス・キリストは、私たちの友です。この恵みに私たちすべての眼が開かれますように。

「友なるイエス」という言葉は、決して空しい、力のない宗教的な慣用句ではありません。そうではなく事実、主イエスは私たちの友なのです。苦しみの時にこそ、すべてを共にしてくださる兄弟なのです。いや、実の兄弟よりも近くにいてくださる方です。この方が私たちを見捨ててどこかに行かれるなどということは決してありません。

天に帰る前から、天から来られたこの友に恵まれるとは何という祝福でしょうか。なぜならこの方と生活を共にすることによって、現時点で、たといわずかながらでも、天国の前味を心の中で楽しむことができるからです。そしてまさにこれこそが、天におられる父が私たちにお与えになりたいと願ってやまないものなのです。

そうです、天の父は、私たちがこの肉体において地上の生活をしている今から喜びに満ち溢れることを願っておられるのです。この事実を受けとめると、すべてに優って麗しい主は、毎時間、そして日々、御自分が確かに私たちの友であられることを証明してくださいます。

夜眠りにつけないで苦しんでおられる方がいますか。その方は主イエスにこう申し上げてください。

「友なるイエスよ、少し睡眠を取らせてください」

肉体的な痛みを負っておられる方がいるかもしれません。その方は主イエスにこう申し上げましょう。

「友なるイエスよ。御心ならば、どうかこの痛みを取り除いてください。でも主よ。この痛みが続くことによって、何かの益になるのでしたら、この苦しみの中で私を支えてください。助け、力づけてください」

孤独に苦しんでおられる方、心が乾いて疲れ果てている方々がおられるでしょうか。麗しい主イエスの腕の中に飛び込みましょう。そのときにあなたは、孤独のさなかにあって、主はあなたの最愛の友となってくださるということを発見するでしょう。

私自身が恵みによってこのことを体験しました。六二年と五ヶ月の間、私は愛する妻と本当に楽しい生活をして来ました。ところが現在私は九二歳なのですが、また再び一人ぼっちになってしまいました。妻を失ってしまったのです。しかし皆さん! 私には心を打ち明けることのできる方がいるのです。

私は自室を行ったり来たりしながら、主イエスにこう言います。

「最愛のイエスさま。また一人ぼっちになってしまいました。しかし一人でありながら、一人ではありません。あなたがともにいてくださるからです。あなたは絶えず私の友となってくださいました。ですから、主よ、私を慰めてください。憐れんで、力づけてください。この貧しい僕に、あなたが必要だと思われるすべてをお与えくださいますように」

愛する皆さん、これは現実です。きれいごとやおとぎ話ではなく、主イエスは私たちの最愛の友なのです。

ですからこのことを知っておいてください。私たちは、確かに主イエスは自分の友であると確信できるまで、満足してはなりません。そして、いつも変わらず最愛の友なのだと納得できるまで、あきらめてはなりません。このことを黙想してみてください。主イエスは私たちを見捨てることも、見離すこともありません。常にどのような状況にあっても、主イエスは確かに私たちの友であることを実証されます。

そして主は、この恵みを単に数ヶ月、あるいは数年の間だけお与えになるのではありません。そうではなく、この地上の旅路の最後まで、いつまでも最愛の友でいてくださるのです。ダビデ王も詩篇二三篇でこう語りました。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたがわたしとともにおられますから。」

ああ、兄弟姉妹たち、何とすばらしい恵みでしょうか。

そしてこの麗しい主は、再び来られるのです。そうです、すぐにでも主は来てくださいます。私たちを永遠の故郷に連れて行くためにです。その岸辺に私たちが着いたら、このイエスと永遠にともにいることができるようになります。このことは、何と喜びに道、栄光に輝く恵みでしょうか。

さてここでも重要となって来るのが、この恵みを自分のものとして受け取るということです。「主イエスは、この私を個人的に迎えに来てくださる。哀れで貧しく、罪深い私。価値のない、滅ぼされて当然の私。その私を御自分の御元に連れて行くために主は迎えに来てくださる!」

そしてこのように栄光に輝く恵みを自分個人のものとして受け入れるなら、天国の喜びがすでに与えられていることを知るのです。


 

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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