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「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。 」(Ⅱコリント1:3-4)

今夜、友と久々に電話での交わりを持った。慰めに満ちた面白いひと時であった。この友は重度の障害を持っており、車椅子の生活を余儀なくされており、その上、視力がとても弱い。年齢は私と一歳違いで、まだ若い身でありながら、このように苦労の多い生活を送っている。生きて来た環境も、今置かれている立場も大きく違う二人だが、主が出会わせて下さってから、色々な紆余曲折を経ながら交わりが続いてきた。彼女は大胆にも、近々横浜に来てくれるという計画を立てていた。

それはひょんなことから、私が次のような台詞を彼女に口走ったのがきっかけだった、「色々な人が今まで私を自分の集会に招いてくれたけれど、私が願っていたのは、誰かが私を訪ねてきてくれることだった」と…。ひたむきで一途な彼女は、早速、サプライズを用意しようと願ってくれたらしい。しかし、まさか誰よりも移動の難しい彼女が、私を自分から訪ねてきてくれるなど思ってもみないことだった!

今も続く余震の影響のため、今のところまだ彼女が関東を訪れるめどは立っていないが、いつか主が会わせて下さるときも来るだろうと思う。

この彼女を見ていると、重要なことは今、私たちがどんな制限の中に置かれているかという問題ではないのだと分かる。たとえ健康であっても、自分から他人を訪れようとは一度も考えない人もいれば、自分が人に見舞ってもらうことしか望んでいない病人もいる。しかし、一人では移動できないほどに不自由な身でありながら、なお、自分よりも健康で、しかも何不自由ない生活を送っている他人を元気づけるために見舞おうという人がこの世にはいるのだ。これは、私にとっても大きな発見であった。こうして、健康な人がかえって病人に励まされるということがある…。

まことに主は不思議なお方だ。こんなことが最近はよく起こる。先日、別な知人に会うために出かけた折、節電のために照明も消された最寄り駅の改札付近で、大阪からやって来たという合唱隊がコンサートを開いていた。もうほとんど終わり頃だったようだが、「東日本大震災復興支援チャリティ・コンサート」の横断幕の下で、「翼を下さい」のメロディが聞こえて来たとき、吸い寄せられるように私はその場に立ち止まった。思わず、涙がこぼれそうになった。小さな駅には似つかわしくないほどに大勢の人だかりが出来、みなが熱心に聞き入り、熱い拍手を送っていた…。

合唱は、教会でどれほど頻繁に目にしたか分からない、珍しくない光景のはずであった。だが、大阪発の合唱隊の歌声を耳にしたとき、歌というものが、私の周囲から久しく消えうせていたこと、こんな風に素朴な日常がもうずいぶん長い間、こときれてなくなっていたことにようやく気づいた。

そうだ、疲れているという自覚もなかったが、私たちは実際に疲れていたのだ…。地震以来、どれほど嵐のような日常を送って来ただろう、今になっても、おさまらない余震、終わらない事故処理、いつまで続くとも分からない節電の呼びかけ、被災地への保障、止まったままのエスカレータ、薄暗い駅構内、春めいた服装さえも許されないかのような職場の圧迫された雰囲気…。震災そのものの被害はこの地域では大きくなかったが、これが震災と人災の影響だったのだ…。

だが、主の配剤は不思議なもので、悲劇を最後までしょって立つと言い張っているときでさえ、「疲れたときには、正直に、疲れたと言って、立ち止まって良いのです。私たちがあなたたちの代わりに元気づけてあげますから」と言ってくれる人たちが、どこからともなく現われることの不思議さ、ありがたさよ! 私たちの疲れ切った心を慰め、励まそうと、歌の花束を持ってやって来てくれる人たちの気遣いが身に沁みて嬉しかった。さらにその夜は、祖父からも珍しく電話があり、「我が娘が心配」と、いつもは短く終わる電話で、随分長い間、関東で暮らすことの不安を聞いてくれた。

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6:34)

友よ、この御言葉は、どうにも私には、今日の慰めは今日に十分なほどに満ちている、という意味に聞こえてならないのです。どんなに大変な状況にあっても、主の慰めはその分だけなお一層より深いのです。我が友よ、確かに今は関東へ来ることはお勧めしません、事態を楽観できないことは、すでに述べて来た通りなのです。みなが意気消沈しており、休日になっても、まだ街全体に活気が戻りません。

けれど、もっと暖かくなって、もっと時が経って、いつかすべてが落ち着く見通しが経ったなら、ともに散歩できる時が来るかも知れません、兄弟たちとともに歩いた街と海を…。とにかく、私にはあなたの心遣いがとても嬉しかったのです、だから、主があなたに報いて下さり、ふさわしい時に出会いを与えて下さるよう祈ります!



 

 

 
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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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