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「わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。」(2コリント10:3-5)

* * *

安倍政権の終わりが近づいている。

政府のコロナウィルス対策の失敗、検察庁人事介入法案の廃案や、元自民党の河井議員夫妻の逮捕などが相まって、安倍政権の支持率が落ち続けている。こんな記事もある。

安倍政権に激震、河井夫妻逮捕を上回る「給付金スキャンダル」の破壊力

9月に解散総選挙などの噂も流れるが、それで乗り切れるとは思えない。これまで数々の奇策により、どんなに恐るべき腐敗が明るみに出されても、持ちこたえて来た内閣も、いよいよ終わりの時に差しかかっている。

その中で、またもや政府が悪だくみをしている。
 
マイナンバーとスマホ 連携検討 免許証と連携に加え

6/23(火) 12:00配信
 
政府がマイナンバーカードとスマートフォンの一体化を検討していることがわかった。

政府関係者によると、利用が低迷しているマイナンバー制度の普及促進に向け、政府が、将来的にマイナンバーカードとスマートフォンを一体化させることを検討していることがわかった。

一方、政府は23日に開いた会合で、マイナンバーカードと運転免許証や国家資格証、在留カードなどとの一体化に向けた議論に入った。

菅官房長官は「年内に工程表を作成し、できるものから実施していきたい」と強調した。

政府はすでに健康保険証との一体化については、2021年3月から始めることにしている。

運転免許証やスマートフォンとの一体化が実現すれば、さらに利便性が高まることになる。
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一体、誰から見ての「利便性」だろうか。

国民の家畜化に向けて、またもや怪しい巨額の税金を投入した受託業務が生まれることになるのだろう。

総務省が、木村花氏の死を最大限に政治利用して、ネット上で誹謗中傷を受けた者が、プロバイダに請求すれば、訴訟もせずに、電話番号の開示を受けられるようにしようとしている。

これも恐ろしいことだと思う。プリペイド携帯の販売が終了し、携帯電話のナンバーポータビリティが始まってから、携帯電話番号は極めて本人に結びつきやすい個人情報になっている。

筆者はネットを使うに当たり、電話番号などどこにも登録しておらず、そのような登録が不可避なSNSはもとより使わない。

これまでSNSを提供しているプロバイダは送信防止措置の要請を受けたからと言って、個人情報を開示することはなかった。たとえ捨て垢と呼ばれているほとんど個人情報につながる情報が残されていないアカウントからの発信であっても、プロバイダにタイムスタンプ、IPアドレスの開示をさせるためには、裁判所における仮処分の申立か、警察からの照会が必要であった。

それほどプロバイダはユーザーの個人情報の開示に慎重だったのである。なぜなら「誹謗中傷」の定義はあいまいで、結局、裁判で争い続けて判決が確定でもしない限り、名誉毀損があったかどうかは、誰も判断しようとしないのが、日本社会だからである。

従って、プロバイダは誹謗中傷の有無を自ら判断することはなく、それを口実に、発信者の情報開示には慎重な態度を取って来た。後になって、訴訟に及ばれないためである。

ところが、政府は、裁判という過程をすっ飛ばして、個人が「誹謗中傷を受けた!」と叫んだだけで、名誉毀損が成立しているのかどうか、ろくに検証もせずに、プロバイダがやすやすと電話番号の開示に応じるような仕組みを作ろうとしている。

「裁判という面倒な手続きを経ずに・・・」などと言っているが、騙されてはいけない。裁判を受ける権利は誰にでもある。その過程を安易に省略して、権利侵害があったかどうか定かでないのに、プロバイダに個人情報を開示させようとするとどうなるか。

結局、無実の人々が個人情報を暴かれて、その上、スラップ訴訟をしかけられて、有益な発信を行えなくなるだけなのだ。

そもそも考えればすぐに分かることだが、ネット上で悪質な誹謗中傷行為を繰り広げているような者が、個人の追跡が可能となる自分の電話番号をアカウントに登録している例などほとんどない。

IP電話をつかえば、電話番号も簡単に取得できるし、電話番号の登録が必須というツール自体が、SNS全体のほんのわずかである。

総務省の策で狙い撃ちにできるのは、正直に電話番号を登録している実直なユーザーだけだ。そのようなユーザーは、誹謗中傷を行うような悪質なアカウントの中では、極めてごくわずかに違いない。誹謗中傷の温床となっているネット掲示板のような場所では、そもそも電話番号の登録など必要もないのだから、取り締まりの対象とならない。

政府が真に中傷を食い止めたいというならば、IPアドレスの保管期限を決めてその保管をプロバイダと通信会社に義務づけるべきだ。ところが、それをせずに、電話番号だけを開示させようとする策は、不用意に電話番号をアカウントに登録した正直者を罰するためとしか思えない。

そういう正直者は、政権批判的な内容のブログやツイッターを開いている知識人に多いだろう。
だから、「余命」ブログが、労働者の味方となりブラック企業などと戦っていた弁護士に大量の懲戒請求を送りつけるための募集をしたように、総務省が作ろうとしている新たな制度は、「知識人狩り」に悪用されて、政府批判のアカウントを攻撃するために利用されることになるだけだ。

政府は、国民の個人情報を商売のネタとしか思っていない。

過去にはこんな記事もあった。愚かしい国威発揚のオリンピックのために、国民をただ働きをさせた上、喜んでただ働きをしてくれた愚か者を家畜として番号管理しようというのだ。
 
2018.8.30 22:35

 富士通は30日、ボランティアの管理にマイナンバーカードを活用する調査研究事業を総務省から受託したと発表した。2020年東京五輪・パラリンピックでの導入を視野に入れており、11月に宮崎県で開かれるトライアスロン大会で実証実験を行い、課題などを洗い出す。
 東京五輪で都が募るボランティアは会場案内や運営支援など9分野で計8万人に上り、登録時の身元確認の効率化は必要不可欠。そこで、ICチップ内蔵のマイナンバーカードを使い、氏名や住所などを機械で読み取る案を検討中だ。

 政府は東京五輪でマイナンバーカードを活用する方針を昨年5月に閣議決定しており、一般向けチケットの不正転売防止に用いることも検討。一方、登録されたボランティアなどの入場管理をめぐってはNECの顔認証システムの導入が決まっている。


しょせん、マイナンバーなどこのような目的にしか使われない。

その上、マイナンバーと携帯電話の紐づけ、免許証との一体化、健康保険証との一体化などが起きれば、駐車違反やスピード違反などの罰則の情報や、病歴の情報がマイナンバーに紐づけられることになるだけだ。

つまり、政府にとって都合の良い、健康で働き者の家畜か、それとも、ひ弱で病気がちで「お荷物」になる家畜かといった情報が、すべてマイナンバーに紐づけられて登録され、政府に閲覧されることとなるのだ。

そうして、いつの日か、大々的な情報漏洩が起き、国民の情報がダダ漏れ状態になるのだ・・・。

前にも書いたが、マイナンバーは超重要機密個人情報に当たるため、マイナンバーの記載された書類は、民間企業などでも特に厳重な管理が義務づけられている。従って、企業の側でも、マイナンバーの管理には神経をとがらせねばならず、マイナンバーを日常生活のあらゆる場所で気軽に使えるような仕組みはわが国には存在しないのだ。

それにも関わらず、以上のような策を次から次へと打ち出しても、それが社会に浸透するとは思えない。住基ネットのように、無用の長物となって終わるだけだ。

国民はそんな「利便性」を必要としていない。国民の情報を利用して、政府が新手の利権を作るのはやめてもらいたい。

* * *


長い間、筆者は霊的なまどろみの中に暮らしていた。それはやはり、世に足をつけ、そこで生活していたために、この世的価値観が、いつの間にか自分の中に入り込み、浸透しかけていたのだ。

ところが、ある朝、目覚めた瞬間に、物事の真相がはっきりと見えた。悪い人々がどのように人々の弱点を利用して、食い物にしていくか。どのように年長者が、善良さや親切さを装いながら、年少者の心の弱さを利用して、つけこむのか。

悪い人々が、他人の権利を侵害しておきながら、侵害された人が、声をあげることができないように、どのように先手を打って、口を封じているのか。

「人にやさしい生き方」ばかりを吹聴して、あらゆることに対し、批判や反対の声をあげさせまいとする空気が蔓延し、強きをくじき、弱きを助ける人々が、ネット上でリンチに遭っても、皆、知らぬ顔、この社会のあり方の歪みに対して、鋭く声をあげ、もの申す人間が、次々と変人、狂人、罪人に仕立て上げられて、叩き潰されて行く。

そういうあり様を見ながらも、自分の暮らしを守ることだけに汲々としていると、それに声をあげ、抵抗する気力さえ残らないのだ。

そのことが分かったとき、「人にやさしい生き方」というまやかしの人生を、きっぱりやめねばならないと分かった。

人に対してどう振る舞うか、社会に対してどう振る舞うか、人間にとって心地よく感じられるかどうかで、物事を図ろうとする「空気」と訣別せねばならないと分かった。

特に、権力に媚びて、もの申すことのできないこの社会の窒息状態に、風穴を開けねばならず、そのためには、この世とベタベタに癒着した「人間の観点」から物事を見るのをやめねばならないと分かった。

人は物事だけでなく、人間の価値までも、自分にとっての快・不快によって決めようとする。

人間は、どこまで行っても身勝手で、自己に利益をもたらすかどうかで、すべてをはかろうとする。だからこそ、人間にやさしくないもの、人に役立ちそうに見えないものを、悪とみなして排斥し、断罪するのだ。

だが、結局、そこにあるのは、人の身勝手な欲望に基づく評価でしかない。自己は罪に堕落しており、サタンへと通じ、どこまで行っても、物事を正常に裁けない・・・。

しかし、神は決して、そういう基準で物事をご覧にならない。

神の評価は、ただ神に対して、私たちがどう振る舞うかに尽きる。神から見て、好ましいと見えるかどうかであって、人に対してではない。

この目線の違いを、はっきり区別できるようにならないことには、私たちはどこまで行っても、堕落した世人の価値観に従ってしか生きられず、何をどう評価しようと、それは天の御国の観点から見れば、無用・無価値な判断に過ぎず、私たちはそのような誤った評価の結果として、自分自身を世の奴隷として差し出しかなくなる。

だからこそ、世の基準を離れねばならないのだ。

だが、それはすぐに起きることではない。

人に接近し、世に深入りすればするほど、目が曇らされ、神からどう見られているかを中心に物事を考える清さを失う。

そこで、筆者は何ヵ月間もかけて、ただ主の中に入り込み、神の命の中に隠されて生きるために、思いのすべてを神に傾注することにした。

この世と自分自身を切断し、主なる神の御前に自分を全焼の生け贄として捧げ切ることの必要性を思う。

全ての思いを虜にしてキリストに従わせること。それがなされればなされるほど、人は物事の正しい判断を獲得して、強くなる。

* * *

自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。

「だれが主の思いを知り、
 主を教えるというのか。」

しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。」(1コリント2:14-16)

キリストにある新しい人とは、キリストの思いを抱いている人、完全な人、恐れを持たない人、悪魔に脅されたり、ゆすられたりするべき欠点、弱点を持たない人間のことだ。

私たちは地上にある限り、完全に贖われることはできないが、限りなく、キリストに近づいて行こうとすることはできる。

一体、悪魔につけ入られ、ゆすられる弱点とは、何によって生まれるか? 罪によってだ。

ここ何十年間も、クリスチャンの間に危険なカウンセリングが流行している。それは人の心の癒しのためと銘打って、人が自分の過去を振り返り、トラウマとなる出来事の思い出を見つけ出し、それをカウンセラーに打ち明けることで、自分の魂が傷ついたことを自分で認めて告白し、「魂の病歴」を自ら作って、それをカウンセラーに差し出し、カルテとしてもらい、自分で自分をディスカウントするというものだ。

そうして他人の急所を掴むためにこそ、証や、カウンセリングがある。だから、弱みとして握られるような過去は、決して人に打ち明けてはいけない。

どんなに優しい顔をした「カウンセラー」や「教師」たちが近づいて来ても、彼らに自分の「魂の病歴」を作って差し出してはいけないのだ。

人は、自分で自分を何者と考え、告白するかによって、自己存在を規定する。

キリストによって贖われた新しい人が、いつまでも自分の贖われる前の過去を握りしめ、それが自分だと告白する必要はないのだ。
 
だが、あなたが誰か目に見える人間を頼りにし、その者に弱点を打ち開ける限り、その人間があなたの教師となって君臨し、あなたにどうあるべきかを指図し、いついつまでも、あなたの弱点を盾に取って、あなたをゆすり、あなたをディスカウントし、完全な人間性を掠めとることとなる。
 
そんな「カウンセリング」をいつまで続けても、あなたの魂が癒されることはない。なぜなら、あなた自身が、自分の魂の病歴をカルテにして、それを大事に握りしめている限り、あなたは自分で自分をディスカウントしたまま、自ら癒しを拒んでいるも同然だからだ。

あなたは自分を見て、自分の不完全さや欠点に打ちのめされそうになるかも知れない。だが、見るべきは、あなた自身ではなく、キリストなのだ。

神はキリストにあって、あなたをキリストと同じように、神の子供として受け入れて下さる。キリストが完全であるように、あなたを完全な者として御覧になる。

そのことを信じ、その霊的事実を握りしめ、人間の身勝手な評価や、指図や、ディスカウントの言葉から、自分を切り離さなければならない。

そこに働くのは、巧妙なこの世の法則性だけだ。

「あなたは幼少期にこういう出来事があったから・・・」
「青年期にこういう出来事があったから・・・」
「あなたは職場で・・・」
「家庭で・・・」

そうしてあなたには終わりなき「魂の病歴」が作り上げられる。あなたのカルテには、ぎっしりと罪の履歴が書きこまれることになる。

そういうものを承認してはいけない。

たとえば、カルト宗教から信者を脱会させると言っている教師たちが、脱会した信者をいついつまでも「心の傷ついた被害者」として扱い、「あなたたちには長期に渡るカウンセリングや、リハビリが必要だ」と言って、彼らを自由にさせない。

この人々は、信者を助けてやるふりをしながら、脱会した人たちが「立ち直る」ためには、いついつまでも彼ら教師の支えが必要だと言っては、人を自立させないで、自分たちのもとにとどめておこうとする。

そこには巧妙なディスカウントの力が働いている。

もしそのことに気づいて、教師たちから離れようとすれば、彼らはあなたを精神異常者と呼ぶだろう。その時になって初めて、彼らの優しさは、束縛のためであること、彼らが教師然として、人を助けてやると言っているのは、他人の弱みを握り、それを盾にとって、人をいついつまでも脅し続け、自立させないためであることが分かる。

自立しようとすれば、狂人扱いされるのだ。

しかし、聖書は何と言っているか。

「肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。」(コロサイ2:13-15)

だから、「人助け」という名目をつけては、人をディスカウントし、いつまでも魂の牢獄に閉じ込めておこうとする悪しき力には、立ち向かわなければならない。

彼らのディスカウントの言葉から、あなたは自分を救い出さなければならない。
 
ある日、あなたが交通違反で罰則をとられ、その情報が、何十年経っても、マイナンバーに紐づけられて記録され、あなたが病院にかかると、その病歴が記録され、さらにもっと悪い情報が、次々と記録されていき、政府の人間があなたのマイナンバーを検索しただけで、あなたにとって不利な記録が山のように出てきたらどうだろう?

そしてある日、政府の人間があなたに近づいて来て、「あなたは東京オリンピックのためにボランティアに参加していませんね。社会奉仕活動が足りないのではないですか」などと突然、説教しかけて来たら、あなたはどう感じるだろう?

そんな押しつけがましい「マイナンバー」など、誰にとっても、悪意による無用の長物に他ならないだろう。

神は、キリストにあって、あなたに紐づけられたすべての罪の債務証書を破り捨てられ、一切を無効にし、あなたを新しく生まれた人同然に真っ白の状態にして下さったのである。

その事実を、またしても誰か優しそうなカウンセラーの前で否定して、「私の過去は・・・」と語り始める必要はない。

だから、指導者から離れなさい。彼らに助けてやったと言わせる隙を作ってはいけない。

彼らに霊的中間搾取を行う隙を与えてはいけないのだ。

彼らは親切そうに他人を助けるふりをしながら、人の弱味を握り、人を思い通りにしようとするだけで、そういう彼ら自身も、別な誰かに弱みを握られて、思い通りに動かされている。

そうして他人に仕えることによって、彼らは他人からの評価を得て、高い地位を保っている。そういうヒエラルキーが、連綿と上まで続いている。

いわば、ネズミ講みたいなものである。そういう支配関係の中に組み込まれてはいけない。

だから、誰かに慰めてもらえるなどと思って、カウンセリングを受けるのをやめなさい。わざわざ他人から脅されたり、ゆすられるような急所を、自分から人に告白する必要はないのだ。

キリストだけにすべてを打ち開けなさい。神はあなたに何が必要であるかを知っておられ、必ず、必要な助けを与えて下さる。
 
キリスト者は自分の上に指導者を立てる必要はないし、カウンセラーを置く必要もない。聖書が「霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。」と言う通り、あなたは誰からも定義されたり、わきまえられる必要はない。
 
当ブログは始まった当初から、ただ一つの主張をしている。それは、目に見えるキリスト教界は、神と人との唯一の仲保者なるキリストを否定して、神と人との間に「牧師」という中間搾取者を立てることによって、聖書の神に背く堕落・腐敗した集団になってしまったということだ。

プロテスタントでは「牧師」と呼ばれるが、カトリックでは「司祭」である。もちろん、法王も同じだ。何と呼ばれているにせよ、既存のキリスト教界は、神と信者とがキリストを通して直接、交わるのではなく、そこにキリストの代わりとなる、人間に過ぎない者を仲保者、代理人として立てることによって、これを地上の人間の支配下にある堕落した宗教に代えてしまった。

そいうものの支配下に組み込まれてはならないのだ。

だから、牧師であれ、カウンセラーであれ、あなたの弱味を握ることで、あなたを支配しようと、あなたの魂のカルテを作って、そこに病歴を書きこもうとしている偽の医者たちに、自分で自分をディスカウントするような言葉を告白してはいけない。

そうして作り上げられた堕落した魂の要塞の中に、あなた自身が捕虜として虜にされてはいけない。

そういうわけで、すべての指導者・教師・カウンセラーをきっぱり離れ、ただ神にのみ直結し、天の父なる神から、御霊を通してすべてを直接、教わり、育てられる子供として生きなさい。

それだけが、自由になる道、あなた自身をキリストと同じ高貴な完全な人として保つ道なのである。

 
<続く>
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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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