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さて、前回の記事から随分間が空いてしまったが、それはこの間に筆者にたくさんの天のお仕事が舞い込んで来たためだ。

権力を目指す人々は、東京へ向かったようだ。筆者の上司も、以前の方がはるかに人間味の感じられる新たなトンデモ写真と共に、新しいオフィス、さらなる権力、名声を目指して・・・。

筆者は、まさか彼らが本気で権力や名声を目指したりはすまいと思っていたが、それは間違いであった。すっかり、その人は変質し、人間性を失ってしまっていたのだ。

東京への集中、それは「昭和的価値観」の集大成だ。巨大なバブルの夢の残滓。眠らない夜の町。筆者は、彼らが誇る立派な建物、権力、名声、地上のすべてのものが、砂上の楼閣でしかないことを知っている。犠牲を払って困難に立ち向かう術を持たない人々に、業務拡大の夢はない。また、その安らぎを奪われた眠れない世界が、あなた方の心底からの願いではないことも、十分に分かっている・・・。

東京は町そのものが不夜城である。それは心の安らぎを奪われた悪者どもにふさわしい町だ。東京はこれから感染者も減らず、大きな困難に見舞われるだろう。もちろん、オリンピックは開かれないし、地価は下がる。

最悪の場合は、巨大地震が来る。政府の信用は失墜し、公共事業は厳しい監視の目に晒され、徹底的に分割される。これからの日本に、特に東京に繁栄や復興はない。

これまで筆者が見て来た立派なオフィスを構えた会社の中で、労働者への搾取によらずに富を築いたところはなかった。筆者に、誤った生き方をしていると指摘された際、筆者に拒絶され、馬鹿にされたのだと思い込み、筆者を見返すために、権力を目指して歩いて行った人が、成功した試しもない。

前にも書いたが、筆者が日露ビジネスを夢見ていた頃、安倍政権が筆者の夢を奪い去って行った。キリル文字も読めない首相が、これでもかとプーチン氏との友好をアピールした。

ところが、首相が領土返還の夢を煽り立てた直後、すぐに対露制裁が発動し、その後、政権が打ち立てた成果は何もなかった。

だから、どんなにうがったものの見方だと言われたとしても、筆者は筆者を置いて行った人々にこう言う。筆者こそ、あなたたちの夢だったのであり、筆者抜きで進められることなど何一つないのだと。

いや、筆者があなたたちの夢であり、あなたたちが筆者の夢だったときが、あなた方の最盛期であり、私たちが分離したときに、あなたたちも終わったのだと。

そうはっきり言えるのは、過去を振り返っても、筆者と関わったときが、すべての人々の最盛期だったからだ。筆者が宝を探し求めるようにして、はるばる尋ね歩いて彼らを見つけ、息を飲むようにして、彼らの前に立ちすくみ、仲間になれたことを心から喜んだとき――そのときが、彼らの人生の最盛期であり、その時、我々が出会った場所が、彼らの最高到達点だったのだ。

それはボロビルの一角だったり、まだ移転したばかりのオフィスだったり、プレハブのような小屋だったこともある。だが、そこがどんな場所であれ、我々が出会った場所が、最高の場所だったのであり、その後、彼らが筆者を置いて、どんなに立派な建物を建設したとしても、それは長くは続かない、崩壊を運命づけられたエルサレム神殿でしかない・・・。

出会った時に、我々が抱いていた共通の夢が、我々の間にあった最高の可能性なのであり、もしも筆者を欺き、その信念を踏みにじるなら、それ以後、彼らに未来はない。

だが、自分の心の弱さを正直に告白できない人々は、内側の弱さを暴露されること怖さに、外側を強化する。ボディビルと、整形と、立派な建物はみな同じもので、それらは心の弱さを隠すための城壁なのだ。

結局、それは虚構の世界であり、人類の強がりであり、人が自己の罪を覆い隠そうとするイチジクの葉、バベルの塔でしかない・・・。

筆者は、その人が財布を忘れて外に出たときを思い出す。それが、一番、ほほえましく、安心できる瞬間であった。気取った人間は、絶対に女の前で財布を忘れたりはしない。だが、筆者は、そういう気取り屋は大嫌いで、真の前で札束など見せつける人間はご免こうむる。

むしろ、財布などなしに、手ぶらで、自由に、無償で、この地球上の富を満喫しているときが、一番対等で、安心できる瞬間なのだ。

だから、誰であれ、心の装甲など持たないのが一番良い。何も持たず、気負わず、飾らず、何一つ相手に要求もせず、ありのままの自分で関われる人々が一番良い。

そういうわけで、筆者は、もしかしたら、トップがかつて持っていた無欲さ、砕かれた心の優しさ、意表を突くような自由を、奪い取って行ったのかも知れない。

筆者は立派なオフィスに背を向けて、大都会にも背を向けて、むしろ、プレハブ小屋のような名もない集会場へ向かう。そこには古めかしい上着を着て、ぽつんと一人で常駐している無名の人間がいるきりで、SNSはなく、立派な机もなく、もちろん、豪華な食卓もない。

ソーシャルディスタンスを取るために、離れた席に座って、愛想もなく話し込むが、人のにぎわいがないために、十分に話す時間がある。

また、筆者の電話を受けて助言をしてくれたある人が、大規模組織を目指さないように言った。2人だと堅苦しいかも知れないから、2,3人くらいが良いと。

戦いはせねばならない。だが、筆者は決して彼らのように、バベルの塔の頂上を目指さない。むしろ、今は拡散、ディアスポラのときだ。ますます手ぶらで、奪われるものを持たない生き方へ、ますます権力も、富も、名声も持たず、すべてを天に預ける生き方へ。

筆者が求めているのは、枝にとまるために羽ばたいて富んでくる雀のように、筆者を脅かさずにそっとそばに来て、筆者と同じように枝に止まってくれる小鳥なのだ。

あなた方は、筆者が変質したのだと考えているのだろうが、実際には、変質したのは、あなた方であって、筆者ではない。何者をも脅かさず、優しく、思いやり深い小鳥だったはずのあなた方が、いつの間にか、小鳥を食らうハゲタカに変わっていた。

いや、多分、筆者が気づかなかっただけで、最初からそうだったのだろう、あなた方の本質が現れただけなのだ。

しかし、筆者は小鳥なので、自己を偽るものには合わせられない。

前にも書いた通り、男性の本質は、人を抑圧することにはなく、自由にすることにあると、筆者は考えている。自己の圧倒的な強さを誇示して、他者を抑圧することは、男の本質ではないと。

むしろ、圧倒的な強さを持ちながら、圧倒的に弱い者を、少しも脅かさず、守り、共にいることができる才覚こそ、男の力である。

だが、そのような謙虚な強さは、十字架の死を通られたキリストにしかないだろう。人が生来持っている力は荒々しいもので、常に他人を凌駕しようと待ち構えている。自己の力によって、他人を脅かさない生き方は、死と復活を経なければできないのだ。

今後、彼らはますます砕かれた心の弱さを捨てて、自分の弱さを否定するために、外側の強さ、心の城壁、男の威信である「昭和的価値観」を追い求め、立派な塔建設という幻想へ向かうだろう。だが、それは崩壊して行く幻でしかない、いや、もうすでに崩壊している。

それはとうに廃れた価値でしかないから、二度と呼び起こせない夢であり、そんなものを目指している人間は、いずれ親しい人たちから離縁を言い渡されるだけだろう。

なぜ地域社会の素朴な生活、古くからある絆を捨て、洗練された都会人のふりなどしようとするのか。ハゲタカになり切れるほど、悪人になれるわけでもないのに。

自分一人しかいないのに、絶えず移動していては、すべての関係が希薄になるだけ。だから、心にもない無謀な試みは、やめておいた方が良い、悪者の道には平安がないから・・・。

ところで、筆者は不夜城は大嫌いだ。眠らない夜の街は好きでない。青髭の住居に近寄れば、傷つけられるだけ。睡眠時間は大切だ。これを削られるのは耐え難い。

* * *

その団体には、極端な傲慢さと、極端な謙虚さ、そして、極端な憎しみと、極端な愛らしさが混在していた。そして、ついに極端な傲慢さが、全てに勝って、何もかもを飲み込んだ。

悪が善を駆逐し、凶暴な虫が、さなぎとなった宿主を食い破って、外に姿を現した。弱い者を助けてやるふりをしながら、欺き、搾取し、己が権勢を勝ち誇って天まで届こうとする狡知が姿を現したのだ。

筆者は、弁護士の悲願は、憲法を変えることにあると思っている。だから、筆者は法曹界の人々を安易に信用はしない。弁護士は二枚舌の職業で、地獄の沙汰も金次第、どっちにでもつく。法律の解釈を自分に都合よく捻じ曲げ、悪人をかばい、弱い人を殺す。

誠実で信念のある弁護士は稀有な存在だ。だが、そういう人たちがいないわけではない。自らが法を順守するのか、それとも法を自分に都合よく変えるのか、そこが問題なのだ・・・。

これは価値観の決定的な違いなのだ。筆者は「父の背中」を追わないし、これを求めないし、模倣もしない。なぜなら、この世のすべては栄枯盛衰であることが分かっており、筆者は朽ちることのない天に豊かな資産を築きたいからだ。

その人は親を尊敬していると言った。カルトから暴力によって無理やり脱会させられた人も、同じように、親を尊敬していると言った。

だが、筆者は知っている、その尊敬は本物ではないと。キリスト教においては、親離れをすることは決定的に重要である。「無言の父の背中」、それほど恐ろしいものはない。

それはネグレクトする親、子供を遺棄する親、「天皇は親であり、臣民は赤子」というあの残酷な思想へとつながっている。天皇のために、人々は死を強要された。親が子供を戦地へ送り出し、特攻隊へ送った。そんな親が、どうして親と呼べようか。親が子供の面倒を見なくて、どうして子供が幸せになれようか。

ところが、今でもそのような価値観に生きている人々は多く、自らが死地へ赴かされても、なお、親を尊敬していると言い張るのだ。

筆者はその人の心の本心を知っている唯一に近い人間であり、その人は、遺棄された子供としての孤独を、筆者と分かち合った。しかし、その人の致命的な弱点は、自分が遺棄された子供だということを認めなかったことにある。

だからこそ、彼らの行く先は、お上のために心中する道なのだ。その道は、自己の弱さを覆い隠そうとしながら、すべてを失う道だ。たとえば、電通が、政府にすがって、生き延びられると思うか。いや、むしろ、すべてを失うだろう。やがて信用もなくなり、富も消えうせ、権力も、名声も、未来も、何もかもなくなる・・・。あと数年も持たず、ベルリンの壁のごとく崩壊するだろうと筆者は思う。

しかも、そのタイミングと来たらどうだろう。ちょうど筆者が当ブログで政府の委託事業を批判し始めた頃、電通の給付金スキャンダルが持ち上がった。

その「父の背中」を追ってはダメなのだ。それはあなたを置き去りにして、出征して行く人の背中だから。それは子供のあなたを置いて、戦地へ赴く父かも知れないし、企業へ出社する父かも知れないし、もっと違う背中かも知れないが、いずれにしても、その背中は、あなたをひたすら孤独の中に置き去りにするだけで、あなたを振り返り、慰め、養ってくれることはない・・・。

だから、人はこの「背中」を負う限り、決して、満たされることがない。努力しても、努力しても、決して心の空虚は埋まらず、ずっと無限のヒエラルキーの下層に踏みしだかれ、心は孤児のまま、抑圧されるだけなのだ。

どんなに寂しくても、歯を食いしばって、泣くことは許されない。愚痴も、不満も、一言も言えない。自分の父が、戦場で死んで行くときに、置き去りにされる苦悩を押し殺して、笑顔でその栄誉を讃えねばならない。生きた人間の代わりに、たった一枚の紙きれしか寄越さないお国のために、父は名誉の戦死を遂げたと、讃えなければならないのだ・・・。

その「背中」こそ、あなたを孤独に追いやり、抑圧している、打倒しなければならない幻想なのだ。あなたを遺棄した親という幻想。

筆者は、トップは悪ふざけでひどい写真に差し替えたのだと思っていた。それくらいひどい写真だからだ。それと同じように、新しいオフィスはきっとひどい場所になるだろうと思った。笑顔のない、人を信じられない、蹴落とし合い、搾取し合うだけの場所に。重荷を下ろす場所がどこにもないところに・・・。

筆者が望むのは、「父の背中」に置き去りにされることのない、孤児とされない世界なのだ。

主イエスは私たちに言われる、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(ヨハネ15:18)と。

「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」(ヨハネ14:20-21)

筆者の信じている神は、筆者を孤独の中に置き去りにされることなど決してない。

だから、筆者は、もの言わぬ「父の背中」と訣別する。誰もが、本当のことを言わなくてはいけない。その背中は、あなたを愛してくれなどしないのだ。

言わなければならない本当の言葉は、「お父さん、なぜ、あなたはぼくに背中しか見せてくれなかったのか」ということ。「お父さん、お母さん、あなたたちはぼくを愛していると言ってくれたけれど、どうして二人とも全然、家にいてくれなかったの。お父さん、お母さん、あなたたちはたくさんの人たちを助けたけど、どうしてぼくを助けてくれなかったの。どうしてうちはこんなに貧しかったの」。

ほら、前へ回って見てごらん。その人はもう死んでいる。背中しか見せてくれないのではなく、死んでいるから、こちらを振り返れないのだ。冷たい、もの言わぬ、そびえたつ壁のような「背中」を、どうしてあなたは未だ尊敬などするのか。気づきなさい、それは死んでいるのだと。

筆者は、その道がどれほど苦悩に満ちているか知っているし、死へ続いていることも知っている。だからこそ、それとは違う「父」を信じなさいと言うのだ。

「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

筆者は、どうしても、その人に処方箋を与えることができなかった。何とかしてその薬を受け取らせようとしたのだが、成功裏に終わらなかった。なぜなら、「父の背中」しか追いかけていない人は、筆者のようなすべての人たちに、「背中」しか見せないからだ。

立ち止まってくれと言っても始まらない、これはあなたの命のかかった話なのだと、呼び止めても止まらない。自分は大丈夫だ、任務があると、制帽を被り、出征して行く。自分の心を殺して、置き去りにして、他の人々のために「出征」して行き、そして帰らぬ人となってしまう。

これはとても残酷な法則性だ。自分の心の本当の弱さを認められない人は、真実に目を背け、破滅へ向かって行くことしかできない。

ロトの時代も、いつも同じだった。人々は、飲み、食い、娶り、嫁ぎ、売り、買い、植え、建て、いつも自分は大丈夫だから、助けは要らないと、神の救いを振り払った。

まことの神に背を向けるなら、見当はずれな商いに精を出し、自分たちの栄耀栄華に溺れた。

その結果、彼らを待ち受けるのは滅びでしかない。

その人は何もかも持っているように見え、そして筆者は手ぶらだったが、筆者の手には、すべてがあった。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」(マタイ16:24-27)

私たちの道ははっきり異なるのだ。筆者は今も手ぶらで、周りから見れば、悲惨なのは筆者にしか見えないだろう。だが、筆者の手の中には真実がある。真理がある。命がある。

真理を持たない人は、心の空虚さが人格を食い尽くし、やがて人生を食い尽くしてしまう。自分の命を保とうとする者はそれを失うのだ・・・。

何と罪深いことだろう、今日という日に、悔い改めを拒んで、立ち止まることのない「背中」よ。弱い者、貧しい者を傲然と踏みしだいてその上に君臨する「背中」よ。

それはエルサレム神殿の石垣、マサダの城壁、やがてことごとく分解されて地に落ちるだろう。筆者よりも圧倒的に富んでいる人が、家庭も、富も、仕事も、名声も、何もかもを焼き尽くされて消滅することになる。他人のものを奪わず、搾取せず、本業で勝負していれば、そのような結果にはならなかったのだ。その最後の時が迫っている。サムソンにも神殿を壊す力があったからだ。

* * *

主イエスは、平和をもたらすためではなく、分裂をきたらせるために地上に来られたと宣言された。

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。

人をその父に、
娘を母に、
詠めをしゅうとめに。

こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」(マタイによる福音書10:34-39)
 
言葉には切り分ける機能がある。

キリスト者は地上において、自分の十字架を取ってイエスに従わなければならない。
 
犠牲を払わずに発言できる人などいようか。

だとしたら、主イエスの復活の命には、最悪の事態を常に乗り切る力があることを信じて進むのだ。

主張することをやめてはならない。前進することをやめてはならない。私たちの言葉の一つ一つが物事を切り分け、光と闇とを分けて行く…。
 
そういうわけで、天の仕事を進めねばならない。

<続く>
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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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