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「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち開けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
(フィリピの信徒への手紙4:6-7)

* * *
 
ここ数日間、書き溜めていた話題についてざっと記しておきたい。

当ブログでは、国の業務委託・受託業務が腐敗の温床になっていることは今までにも幾度も指摘してきたが、またすごいニュースが出て来た。

経済産業省が実体のない幽霊法人に等しい「サービスデザイン推進協議会」なる一般社団法人に持続化給付金の給付事業を丸投げし、この法人が事業のほぼ全部を電通に再委託し、さらに電通がパソナ、トランスコスモスに再々委託していた件だ。

中抜きのための再委託だと批判を浴びているだけでなく、この一般社団法人の設立そのものに経産省が関わっていたのではないかと言われている。

文春がかなり突っ込んだ取材をして、はっきりと経産省が幽霊法人の設立に関わっていたことを認めた。

持続化給付金問題 “幽霊法人”が経産省最高幹部の部署から1300億円超を受注
  週刊文春 2020年6月11日号

 持続化給付金事業を実体のない“幽霊法人”が受注していた問題で、この法人が設立からこれまで、経済産業省の最高幹部が在籍している部署から累計1300億円を超える発注を受けていたことが、「週刊文春」の取材でわかった。

 今回、769億円で持続化給付金事業を受注した「一般社団法人サービスデザイン推進協議会(以下、サービス協議会)」は2016年に設立された。サービス協議会を実質的に運営していたのは、電通社員(当時)のA氏で、名目上のトップだった代表理事(当時)は「経産省の方から立ち上げの直前に代表理事を受けてもらえないかという話があって、それで受けた」と証言するなど、経産省が設立に関与していた。この時、経産省は肝いりで始めた「おもてなし規格認証」事業の公募を開始。不可解なことにサービス協議会が設立されたのは、公募開始日と同じ日だった。

 2カ月後の2016年7月、従業員4人のサービス協議会は4680万円で、この事業を落札。さらに、2017年度にはサービス等生産性向上IT導入支援事業費補助金を約100億円で、サービス等生産性向上IT導入支援事業費を約500億円で落札。これらの三事業はいずれも、経産省の商務情報政策局が所管しており、当時、同局を担当する大臣官房審議官を務めていたのが前田泰宏氏だった。

 現在前田氏は経産省中小企業庁の長官を務めているが、今回の持続化給付金を所管するのは中小企業庁だ。サービス協議会は、持続化給付金事業(769億円)を含めて、設立以来4年で1576億円を経産省から受注しているが、そのうち少なくとも1300億円以上、率にして8割以上が、前田氏が幹部を務める部署からの受注だった。

「前田氏は、東大法学部卒で、持続化給付金の仕組みを作った人物。若い頃はベンチャー企業の人と合コンを開くなど、幅広い人脈を誇る」(永田町関係者)

この前田氏の広い人脈の中にいたのが、A氏だった。電通関係者によれば、A氏は、「電通では町おこしに寄与する企画を担当していた。官公庁にも関係するので、よく足を運んでいましたね。A氏は前田氏とも一緒に食事に行くなどして、食い込んでいくスタイルでした」

 (後略)


 


* * *

まさに政府と一民間事業者に過ぎない電通とのズブズブの関係を思わせる記述だが、電通が今年初の808億円もの赤字を出していた事実も見逃せない。

電通初の赤字転落! 大手各紙は「忖度」なく報道したか? ネット上では「解体すべし」の批判が殺到
(JCAST会社ウォッチ 2020年02月14日11時45分)

ネットでは「解体」が叫ばれていた電通。コロナで淘汰されるべき「ゾンビ企業」とは、まさに電通のことだったのではないか。だが、ゾンビだけに冥土へ旅立つことを拒否し、正攻法ではおよそ考えつかないようなやり方で、娑婆にしがみついたと見える。

ところで、今回、電通のトンネル法人と呼ばれた幽霊法人が持続化給付金事業を受注した金額が769億円だった。808億円の赤字と合わせると、まるで示し合わせたような金額にも思える。

トラブル続出 コロナ「持続化給付金」を769億円で受注したのは“幽霊法人"だった
(「週刊文春」編集部  2020/05/27 週刊文春 2020年6月4日号)
 
しかし、今回、経産省で起きたのと類似の出来事は、他省の委託事業でも起きている。

厚労省によるアベノマスク調達のための事業者との不透明な随意契約も、ネット上では大いに問題になった。アベノマスクは、安倍政権の支持率低下の最も主要な原因になったとも言われている。これほど国民に不評だった施策もないだろう。

そもそも首相の鶴の一声で、日本の全戸にマスクを配るなどといった事業が思いつきのごとく発案され、誰からの批判を浴びることもなく、会議にかけられることもなく、即座に実行されて良いのか。

なぜこの発案を止める者は誰もいなかったのか。しかも、市場にマスクが最も不足して高値になっているその瞬間を狙って、政府が民間事業者と組んで、国民の危難を投機的な商売に利用するようなことがあってよいのか。

しかも、その機に乗じて、実績もない無名の会社が、不透明なプロセスで政府に食い込み、随意契約を結んだ事実が知れ渡れば、それは癒着による選択だったのだろうと憶測を呼ぶのは仕方がない。

政府の委託事業がハイエナのような企業に食い物にされ、政府自らがそれを分かって特定の企業と癒着しているのではないか・・・。

昨年には、以下のような驚愕のニュースもあった。

シベリア抑留戦没者の遺骨 「すべて日本人ではない」」
(NHK 2019年7月29日)

抑留者遺骨「日本人でない」=シベリアで収集、公表せず-厚労省
(時事ドットコム 2019年07月29日23時19分)

もちろん、これらはすべて外部委託事業の結果なのだが、その事実はあまり注目されていない。

上記の記事では、厚労省がシベリア抑留者のものとされた遺骨の大半が、日本人のものでないと、長年、知りながら、これを認めず、公表もして来なかった隠ぺい体質が非難されているが、実は、政府が遺骨収集事業をほとんど民間企業に丸投げし、考えられないほどの低価格で外部委託して来たために、その当然の結果として、以上のような問題が起きて来たことは、検証もされていない。

シベリアだけでなく、何年も前にフィリピンでも日本人のものでない遺骨が混入しているとのスキャンダルが持ち上がった。その際に、現地の委託業者が、出来高制のようにして遺骨を収集したために混入が起きたと騒がれたはずなのに、政府はその時から今に至るまで、外部委託が抱える問題に対し、何ら対策も反省も行っていない。

そもそも戦後処理を外部委託するという発想自体がどうなのだろうか。政府は大規模プロジェクトを立ち上げ、それに予算をつけはするが、計画の詳細を、自分たちでは考えようともせず、ほとんど青写真さえもないまま、民間企業に丸投げする。

委託された民間企業は大急ぎで計画書を作り、素人に毛が生えたような「専門家集団」をかき集めて来ては、通訳やら調査団やらを作り上げ、会議に会議を重ね、どうやって「事業」を成り立たせ、成果を出すかを話し合う。

しかし、もともとその筋の専門家ではない人々がかき集められて来ている上、鉄のカーテンの向こう側の、歴史家や政治学者でさえ知識の及ばない領域にメスを入れ、肉親や親族でさえ探し出せなかった人々を探索しようというのだから、短期間で大々的な「成果」など叩き出せるはずもない。その上、委託業者も、さらに外注の通訳などに、眩暈がするほどの薄給で、名簿の翻訳やら診断書の翻訳やらを任せる。

こうして、再々委託という名でさえ呼べないような多重ピラミッド委託構造が出来上がり、現場では、考えられないほどの低賃金で人々がこき使われることになる。もちろん、そのような低賃金で人をこき使うような企業が、まっとうな団体のはずもないし、それでまっとうな成果が出る方がおかしい。

政府の事業だから巨額の予算がついているから安泰かと思いきや、ふたを開けてみれば、その実体は、単なるブラック企業による搾取もしくは委託費の持ち逃げのようなことになる。もちろん、そんな薄利の事業を受注しようという企業も、そうそうたくさんあるはずがないので、当然ながら、何らかのコネやツテがあってそうなっている。

このように、政府の事業と言いながら、実際には、薄利のビジネスが、多重中間搾取のピラミッド構造の中で推し進められ、事業は下から浸食され、徐々に土台から溶解して行く。ろくに中身も考えずに作り出されたイリュージョンのような事業は、その実行のプロセスも、成果もイリュージョンとして消える。

だが、幻のような計画に、税金だけが、リアルに投入され、労働者も、リアルに搾取され、苦しめられる。

一体、こういう委託事業とは何なのだろうか。そして、日本人のものでないと鑑定された遺骨はどこへ行くのだろうか。ただでさえ厚労省には、身元不明で引き取り手もない「無縁仏」の遺骨がうず高く積まれているが、またしてもそれが増えることになるのか。

「間違ってました」では済まされない。一体、その遺骨はどうするつもりなのか。まさか返すというのだろうか。話も聞かれないのが不気味である。

* * *

だが、こうして、政府の事業の外部委託の弊害を告げるニュースが、少しずつ明るみに出されるようになったのは、歓迎すべきことである。これまでは当然とみなされて見過ごされて来たコネや癒着による委託にも、批判が集まるようになった。

それもコロナの果たした正の役割ではないだろうかと思う。コロナウィルスの蔓延に伴い、これまでのように、顔と顔を合わせたおつきあいが撲滅されつつある。お友達の間柄ならば、どんなことでも許されるというなあなあの雰囲気が、駆逐されようとしているのだ。

癒着の上に成り立つ「ムラ社会」の掟が崩れようとしているのが今だ。こんな記事もある。

コロナ禍を経て、「飲みニケーション」はいよいよ絶滅する?」
(日経ビジネス 上野 泰也 みずほ証券チーフMエコノミスト 2020年6月2日 )

飲みニケーションなどといった時代の遺物は、早くなくなった方が良い。さらに、次のニュースも歓迎されるべきだ。

 「コロナ不安で休み」欠席にせず 出席停止扱い可能に―文科省
(時事ドットコムニュース 2020年06月01日20時32分)
 
改めて、コロナ禍の中、遅刻も欠勤も早退も許そうとしなかった時代錯誤な我が職場への怒りがふつふつとこみあげて来る。

ただし、次の記事を読むと、おやと思った。

加藤厚労相、休業の妊婦に有休を 4閣僚、労使団体と会議
(2020年06月01日19時15分)

確か当初、政府は妊婦のために、直接受け取れる給付金を創設すると言っていなかったか。だが、この記事の中では、あくまで事業主に賃金の満額を支払うよう促しているだけだ。

加藤勝信厚生労働相は1日、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い休業を余儀なくされた妊婦について「休みやすい環境づくりに協力をお願いしたい」と述べ、有給休暇の取得を促すよう企業経営者らに求めた。関係4閣僚と労使団体トップとのテレビ会議で語った。
  政府は妊婦に関し、医師や助産師の指導があった場合、休業や在宅勤務などの措置を取るよう事業主に義務付けている。



政府による給付金の創設が、なぜか事業者への「お願い」に変わった。随分、トーンダウンしたものだ。この記事を読む限り、政府は妊婦への休業給付金の創設を断念したのではないかと思える。

だが、筆者はきっとそうなるだろうと思っていたので、いささかほっとした。

妊婦が産休中に受け取れるお金は、出産一時金など、賃金以外にもある。自治体によっては、他の支援もあるだろうし、産休が有給であるか無給であるかも、事業主によって異なる。

事業主から労働者に給与が支払われているかどうかを確認できるのは、ハローワークだけである。給与の支払いや、出産一時金の支払いがないかどうかを確認もしないまま、政府が妊婦に直接、給付を行うと、重複した給付が行われることになりかねない。

さらに、コロナが蔓延する前に産休に入った妊婦からは、当然ながら、差別だと非難の嵐となるだろう。

だから、もしも妊婦のための休業補償を政府が用意するならば、コロナウィルスに伴う一時的な措置としてではなく、給付金の創設を目指すべきでもなく、恒久的な措置として、産休を有給休暇として企業に賃金の支払いを義務付けるべきなのだ。そうすれば、我が国の少子化にも少しは歯止めがかかる。国の復興に役立つ。

だが、この国はきっとそれができるほど社会の意識が進んではいまい。

さらに、同じ問題が、妊婦への休業給付だけでなく、休業者に対する給付金の創設案についてもそっくり当てはまる。

次の記事などは、当然に予測された問題であると言えよう。

「新しい給付金もらって」 休業手当、会社が不払い宣告
(朝日新聞DIGITAL 榊原謙、滝沢卓 2020年6月3日 6時00分)

事業主が賃金の支払いを届出るのはハローワークであるから、休業者への休業補償は、本来、政府による新たな給付金制度の創設ではなく、「みなし失業」として、ハローワークで扱う雇用保険の枠組みの中で行うのが最も安全である。

その上で、失業者に対する給付と休業者に対する給付を同水準に引き上げるのが、最も安全で失敗のない方法である。

給付金制度が出来てしまえば、当然ながら、事業主は、休業手当を支払わなくなる。法定の6割すらも払わなくなるだろうし、まるで厚労省が、休業手当を支払わないことを後押ししているような恰好になる。

さらに、場合によっては、賃金をもらっていても、給付金を申請し、二重取りを狙う人たちも出て来よう。そんなに多くの厄介な問題があるのに、政府はあくまで給付金制度にこだわるつもりなのだろうか。なぜ厚労省傘下のハローワークを活用しないのか。失業者と差をつけようとするのか。非常に理解に苦しむ話である。

だが、今はその話からは離れよう。

* * *

黒川問題は長引くだろうと筆者は書いた。違法な閣議決定、そして、賭けマージャンをしておきながら、訓告+約7千万近い退職金をもらっての自己都合退職では、誰も納得できまい。

案の上、未だに後追い記事が出て来る。

「“国会より麻雀”だった「黒川弘務」前検事長 雀卓での素顔
(デイリー新潮  週刊新潮 2020年6月4日号掲載)

万難を排して賭け麻雀に駆けつけていたそうだ。

さらに、古賀重明氏の説明は分かりやすい。

「黒川検事長の任命権は内閣にある」、従って、処分を決められるのも内閣以外にはないのだ。黒川氏の処分を決めたのが、内閣なのか、それとも法相なのかという議論にこだわること自体が、無駄なのだと分かる。

また、退職金がゼロで当然の理由も書かれている。

 「古賀茂明「黒川氏処分の“真犯人”は内閣の証拠」
(AERA.dot  連載「政官財の罪と罰」2020.6.2 07:00 )
 から抜粋

まず、国家公務員法84条には、「懲戒処分は、任命権者が、これを行う」と書いてある。処分権限は任命権者にあるという意味だ。次に、検察庁法15条には、「検事総長、次長検事及び各検事長……の任免は、内閣が行い」と書いてある。「黒川検事長の任命権は内閣にある」という意味になる。  

この二つの条文を合わせると、黒川検事長に国公法上の懲戒処分をできるのは、黒川氏の任命権者である「内閣」しかないということになる。もちろん、内閣の代表は安倍晋三総理だ。 <中略>


ちなみに、マスコミの報道でもう一つ注意したいのは、黒川氏の行為が該当すると思われる「常習とばく」の場合の懲戒処分は、「停職」であるという解説だ。これは、人事院の「懲戒処分の指針」の「標準例」によるものだが、実は、その「指針」の中には、標準例より重くする可能性のある例として、「職責が特に高いとき」や「公務内外に及ぼす影響が特に大きい」場合を挙げている。黒川氏は検察ナンバー2で極めて高い地位にあり、また、今回の行為による検察への国民の信頼の失墜という影響は特大級だ。これら2点を勘案すれば、標準例の「停職」よりも一段厳しい処分、すなわち、「免職」にするのが常識的判断だろう。

 その場合、退職金はゼロとなる。




* * *


ここから先は、蛇足になるが、筆者の話である。
 
前にも書いた通り、不当に軽い処分の陰には、不当に重い処分がある。処罰されるべき政治的大物が見逃され、優遇される陰で、どれほどの弱い人々が不当に泣かされて来ただろうか。

上記の出来事は、我が職場における出来事に重なるため、筆者の注意を引いている。

筆者はこうした出来事に耐えられず、何とかして、正義を実現するために力を尽くしたい、というやるせない思いが込み上げてならず、そこで、筆者の周りにいる「悪党ども」の悪事について調べていた。

ふと気づくと、我が職場の上司が、いつの間にか「俳優のような」写真を「トンデモ」写真に差し替えていた。

それを見て、筆者は思わずふき出した。

悪党の生き方は必ず顔に出るから、自然な笑顔ができなくなると筆者が非難したことを知ってか知らずか、今度は笑顔もない写真になっていた。そして、いつの間にか、筆者が作成に反対したプロモーションビデオも、取り下げられていた。

もちろん、トップが筆者の意見を知っているのかどうかは不明だ。

だが、このトップは、これまでにも筆者の意表を突くのが実にうまかった。まるで泣いている子供を、親がひょいと抱き上げて、広い景色を見せてあやし、笑わせるように、筆者のあらゆる苦悩と非難を、こともなげに交わしてしまうのである。

それは決して非難の声に押されて退却したというわけではない。

筆者のごとき若輩者の言い分に負けて譲歩するのか?

そう思われることを全く気にしていないのだ。

自分が侮られることや、人になめられること、見下げられることに、全く平気なのである。
 
まるでこう言われているようだ。

「もともとビデオも、写真も、自己アピールのために作ったのではないから、あなたに不評なら、廃棄しても構わないのです。人に美しく見られたいなどとは、もとより思ってもいないから、自分の姿が他人にどう映るかなど、どうでも良いんですよ。

だから、もしあなたが反対するなら、すべて撤去しても構わない。あなたが、しかつめらしい、もっと不細工な写真の方がいいというなら、それに取り替えましょう。もっとひどい写真をご所望なら、それも引っ張り出して来ましょう。

二度とビデオを撮るな、二度と姿を現すな、事業所を放棄し、東京になど進出するな、この地球から消えうせろと言うなら、そうしても構わないんですよ。

ただし、その前に、私にも質問させて下さい。

一体、あなたは私がどうあれば、満足するんですか?

私に注文があるなら、いくらでも私はそのすべてのリクエストに応じましょう。でも、それだけで終わらず、あなたは、あなたの本心を正直に言ってくれなくちゃいけませんよ。言って下さい、あなたは何が望みなんですか?」

まるで、そう問われているようにさえ感じられる。
 
これだから、いつも拍子抜けさせられるのだ。非難に対して非難で返さず、侮られたからと言って、虚勢を張るわけでもない。注文をつけても、さらにリクエストを出すよう求められる。

どんなに非難を受けても、窮地に追い詰められるということがないのだ。

筆者がどんなに懸命に物事を訴えても、さらりとそれをかわすようにして、想像を超えた答えが出て来る。

「私は組織を誇るつもりもないし、立派なオフィスにしがみついているわけでもないし、権力、名声、知名度を上げるために、仕事をしているわけでもない。
 あなたは私がケチで、自分の栄光を捨てられず、搾取が目的であなたに近づいたと言いますが、そういう批判を浴びるなら、私はこの世の財産、富、人の歓心や注目、そんなものはどうでもいいものとして投げ捨てましょう。

もしあなたが非難するなら、そんなものは本当にすべて捨ててもいいんですよ。そういうものは、すべて過ぎ行くものでしかなく、どんなに富を溜め込んだところで、この世は栄光盛衰、そこに何一つ確かなものはないと、私も知っているんです。
 
だから、人の歓心や注目を集めること、目に見えるものを築き上げることは、どうでもいいのです。そんなことが重要なのではないのです。」
  
そこで、筆者は心に感じるうさん臭さを押し殺して問いかける。
 
「では、あなたにとって最も大切なものとは何ですか。」
  
トップはさらりと話題をすり替えて、こう問い返しそうだ。

「何だと思いますか」

筆者は分からないと答える。すると、さらに話題をはぐらかされて、こう返されそうだ。

「あなたが満足して笑ってくれることですよ」と。
  
筆者はそれを聞いて苛立ちを感じる。

「嘘はやめて下さい。そんなはずがないでしょう」と。
  
そして、心に思う、こんな問答をしているようではだめだ、まるでこれでは大悪人の彼が、善人のように見えるではないか。
 
筆者は彼らのことを調べているうちに、トップに続き、ナンバー2(3)が、そろって異動していたことを知った。同じ頃、ナンバー3が、筆者と出会うずっと以前にも、トラブルを起こしていた事実が分かった。

一般人以上の高い品性が求められる職務にふさわしくない暴言を吐いて、罰を要求されていたらしい。

その発言とは意訳すると、こんな内容だったとか。

「俺たちは今までこのど田舎の地元で、まるでドブさらいのような、ゴミみたいな仕事を引き受けて、ゴミを糧に、利益を叩き出して生きて来た。ドブさらいはドブさらいかも知れないが、それがなくなっては生きられないのが、俺たちの仕事なんだ。

俺たちはそういう底辺のところを這いずり回って何とか今まで生きて来た。ボスは遊んでばかりで、役に立たないから、この組織は、俺がいるおかげで持っているようなものだ。こんなど田舎に住んでいる連中など、どれほど権力者に見えても、どうせ出世から外れたはみだし者ばかりだ。そんな奴らなんて、どうにでもなる。

俺たちは、この街のごろつき同然の連中のことなど知り尽くしている。知り尽くして、奴らと共に生きて来たのだ。おまえにそのことが分かるか。俺たちの生活が分かるか。この生き方に文句があるなら、俺に言わずに、トップに言え。お前たちから見れば、俺たちは最低のゴロツキかも知れないが、俺たちには俺たちの生き方の仁義があり、美学があるんだ。それが不服なら、トップのところに行ってもの申して来い。きっとお前の愚痴を聞いてくれるだろうよ。」

そんな「暴言」が本当にあったのかどうかは分からない。言われた本人は、こんな言葉は到底、聞き捨てならないと解釈し、ナンバー3(2)にはお仕置きが必要だと考えて、訴えを出したようだ。

だが、その訴えは、地元の権力を使って揉み消されたらしい(少なくとも、出した本人はそう思っている)。だから、真相は今となっては分からない。
 
だが、少なくとも、そこに記されている人物像は、筆者が見聞きして来た通りだった。だから、筆者はそういう発言は、実際にあったのだと思っている。
 
ただし、ナンバー3(2)の「トップは遊んでばかりで、自分がいるから持っている」発言は、聞き捨てならない。

トップは、確かに皆に良いところしか見せなかった。人前に善人に映るようにしか行動しなかった。だから、汚れ仕事はみなナンバー2、ナンバー3が行うことになり、部下たちは常識外れなほどに残酷な人々ばかりになった。

だが、筆者には分かるような気がする。

遊んでいるというより、寂しいのだと。何をやっても、心は満たされず、この人の人格のスケールに匹敵するような人物は現れず、心を満足させる出来事も起きないので、むなしいのだと。

寂しくて、寂しくて、仕方がないから、そうして気を紛らさずにいられないのだと。
 
トップは、悪党ではあったが、筆者がこれまで見て来た悪党どもとは、かなりタイプが違っていた。この世のものに執着せず、プライドを持たないところが、違っていた。

ただ一つの弱点は、悪党のくせに善人を装いすぎて、自分の荷を下ろせなくなったところである。

彼はかつて言った、自分は昔のタイプの人間であるから、人前で弱さを見せることはできないと。強い人間を演じ続けているうちに、いつの間にか、それをやめられなくなったと。

それでドブさらいのような仕事をしながら、聖人君子のような像を作り上げて来たのである。

それを筆者からハリボテと言われ、非難されると、あっけなく聖人君子の衣を投げ捨てた。

そして、筆者に尋ねて来る。

「どういう姿が、あなたのお気に入りなんですか?」と。

筆者は、ため息をついて言う。

「あなたはマジシャンのような人間で、いっぱい写真の取り揃えがあるのでしょうが、そのどれも演技であって、本物じゃないんです。だから、私にどれを見せても、お気に入りの写真は見つからないと思いますよ。」と。

筆者は正直な人間であるから、強がったりせず、みっともないところを隠そうとも思わず、耐え難いと思えば、怒りもすれば、泣きもする。非難したいときには、非難する。絶望している時に、気丈に振る舞ったりはしないし、人に侮られるのが嫌で、強がって演技を重ねることもない。

筆者にとっては、他人からの目線や評価よりも、自分が自分であれることの方がはるかに大切なのだ。

だから、たとえ気が狂う寸前になっても、自分を取り繕わないだろう。

そこで、筆者は言う。

「あなたは確かに私の百倍くらいは器用な人間なので、あなたから奉仕を受ければ、みんなきっとその親切に本気で喜ぶでしょうね。あなたは私も満足させられるかも知れません。人助けの得意な善人のように振る舞うことにかけて、あなたは私の何倍も長けているし、先を行っている。
 
でも、私に言わせてもらえば、私の欠乏は、私の側の問題であって、あなたの問題ではないんです。

私はあなたに助けを求めてはいけないし、あなたの欠乏は、私を助けても埋まらない。

あなたの欠乏は、あなた自身が気づいて埋めない限り、どんなに他者に親切を施し、喜ばれても、それでは埋められないんです。いい加減に気づくべきではないでしょうか。困っているのは、私ではなく、あなた以外の誰か他人ではなく、あなた自身なのだと。あなたの欠乏を私にすり替えたところで、問題は解決しないんです。」

「彼ら」は、筆者の「説教」を聞いて、面白そうに肩をすくめて、笑うかも知れない。

トップは言うだろう。

「確かに、そうなのかも知れませんね。あなたの言う通りなのかも。私には私の知らない欠乏があるのかも知れません。それでも、私はあなたの満足を優先したいんですよ、私はあなたに喜んでもらいたいんです・・・」

筆者は無限ループのようなやり取りに困惑し、しばらく考え込んでから言う。

「それなら、言いましょう。私の望みは、あなたに悪党になってもらうことだと。私はあなたを悪者として告発し、何もかも、あなたのせいでこうなったと、被害を主張するかも知れません。それから、あなたのように自堕落でいい加減な生き方をしながら、他人を助けるなど、お門違いだと、非難するかも知れません。

悪者としてのあなたの正体を公然と明るみに出し、あなたは聖人君子ではないと、世間に情報を晒し、そうして責任を取らせるのが、私の望みだと言えば、あなたはそれを受け入れるんですか。」

「もしそれがあなたの望みで、そうすれば、あなたが満足するというなら、反対はしませんよ。でも、私の美学には、そうやって自分の人生を他人のせいにするという法則はありませんので・・・」

「ほうらご覧なさい、だからこそ、いつまで経っても、あなたは失われた自分の本心を発見できないんですよ」と筆者。

トップは続ける。

「あなたは他人を責めることで、何かが得られると思っているんですか? 被害を主張して、それを取り返すことで、幸福になるんですか? 他人を責めることによって、余計に自分の人生がその他人に束縛されるだけなんですよ?」

筆者は言い返す。

「なるほどあなたの言い分は立派ですね。自分の人生は、すべて自己責任だと、あなたはおっしゃるんですね。だから、あなたは他人を責めないし、人のせいにしないことで、自由を保っていられると。

でも、それは偽りだと私は思うんです。人の人生には、自己責任だけでは終わらないことがある。強い者は、弱い者の面倒をみなければならない。強い者が、弱い者の面倒をみないまま、弱い者の生き方は自己責任だと突き放すのは、方便に他なりません。まして強い者が、弱い者の権利を蹂躙し、その尊厳を辱めた上で、他者を責めるなというのは、お門違いです。

あなたはそういう論理を振りかざすことで、自分に弱音を吐くことも許さず、自分の心を自分で封印し、置き去りにし、見捨てていることに気づいていないんです。気づいていないからこそ、私を見たときに、私の中に、あなたは自分自身を見いだして、私の悲しみに、あなたの悲しみを重ね、私を助けることで、自分を助けられるかのように思っているだけなんですよ。

でも、私を救おうとしてはいけません。私はあなたから助けられる前に、自分であなたと戦って、それを取り返します。

そうなる前に、あなたこそ、正直に自分の望みを口にしなければ。

あなたが正直でないのに、私にだけ正直に弱みを告白させて、あなたが私を助けるヒーローになれるなんて、そんな都合の良い話はないんです。

私たちは似た者同士なのかも知れません。もしもあなたが私に自由になって欲しいと言うならば、私もあなたに同じ言葉を返すでしょう。もしもあなたが私の前に、自分の美など惜しくないと投げ捨てるなら、私も同じようにするでしょう。もしもあなたが地上の富も権勢も、何もかもどうでもいいと言うなら、私もそれらを捨てるでしょう。

でも、すべてを捨てて行ったあとにも、欠乏は残るんです。私はそれをあなたに発見してもらいたい。あなたは全てに満足しているように振る舞っているけれども、実はそうではなくて、とてもたくさんの欠乏を抱えていて、弱くて、満たされていないのだということを知ってもらいたい。

それは私の弱さであり、欠乏なのかもしれませんが、同時に、あなたの弱さであり、欠乏でもあるんです。そして、それらは別々の問題で、我々が互いに同情し合って解決するようなものじゃないんです。
 
私たちは、お互いに正直にならなければならない。そのために、私はあなたを非難しようとしているんです。ドブさらいをしながら、聖人君子になんて、なれるわけないじゃないですか。ドブさらいの悲哀について、悲哀を感じていたなら、それを隠すことなく、あなたもちゃんと吐き出した方がいい。

自分が弱いなら、弱さを隠すべきでないし、悲しいのに、喜んでいるふりをすべきではないし、傷つけられたのに、強がるべきではないのです。
 
少なくとも、私はあなたにドブさらいをさせられたことについて、正直に苦情を言います。泥だらけになって、なお、聖人をきどったりしない。ドブさらいをさせられたにも関わらず、あなたに助けられたとは言わない。その分だけ、私はあなたより正直だと思う。

でも、こう言うのは、自分の人生を他人のせいにするためではなく、自分自身の心に正直であるためです、本当の自分自身であるためです。

そうやって弱音を吐くことによって、つまり、人のせいにすることによって、責任転嫁ではなく、真実を取り戻せる事例があることを、あなたは知らないんです。人のせいにしたからと言って、世の中がそれで崩壊することもないし、人間関係がダメになるわけでもない。

むしろ、世の中のすべての悪事は、「サタンのせい」で起きて来る。

だから、悪魔にだけは、責任転嫁して、しすぎることはないんです。いや、むしろ、大いに責任転嫁すべきなんです。それを知らずに、人はあまりにも多くの悲惨な出来事が、自分のせいで起きていると考え、自分ですべてを負うべきだと考えて、我慢に我慢を重ね、そうやって無意識のうちに悪魔をかばって、黙って彼の重荷を背負ったまま、時に墓にまで下って行く。

でも、それは違うんです。

自分の味わった痛み苦しみ、悲しみ、理不尽さ、やるせなさについては、私たちは正直に神に告白することが許されている。それは貧しく弱い人々が、裁判官の前に、自分たちの悲痛な訴えを持って行くのと同じです。

伝家の宝刀を使うことは、何ら禁じられていない。いや、積極的に、使うべきなんです。自分の心を正直に、ありのまま、さらけ出し、まことの裁判官たる神にその理不尽さを訴えるべきなんです。神はそれを聞き届けて下さる。

もちろん、地上の裁判官に訴えることも禁止されていない。

それが許されているのに、その道があるのに、債務者を神のように考えて、揉み手で懇願すべきではない。罰せられるべきは、サタンであって、人ではないのだから。

だから、あなたはあなたの欠乏を、私にかこつけずに、正直に口にしなければなりません。そうなることが、私の本当の願いなんです。また、それがなければ、私は自分が何を望んでいるのか、永久にあなたの前で口にすることもできないままに終わるでしょう。

そうして、私たちの関わりは尻切れトンボに終わり、あなたは私を助けられなかった、何もできなかった、この関わりからは害悪しか生まれなかったという、忸怩たる思いだけを抱え続けることになるのです。

そういうことを私は望んでいない。だから、総括が必要だと言うのです。」

<続く>

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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