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覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものではない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」(ルカによる福音書12:2-3)

* * *

いよいよ安倍政権の終わりが明白に見えて来た。やはり、懲戒免職されて当然であった黒川氏に、懲戒すらも加えずに、訓告だけで辞職して済ませようと考えたのは、官邸(安倍氏)の思惑だったようだ。

(記事中の画像に下線を引いたのは筆者)
 

黒川氏処分、首相官邸が実質決定 法務省は懲戒と判断、軽い訓告に
共同通信 2020/5/25 06:33 (JST)5/25 08:51 (JST)updated 

 

  黒川弘務前東京高検検事長の処分に関する説明

 賭けマージャンで辞職した黒川弘務前東京高検検事長(63)の処分を巡り、事実関係を調査し、首相官邸に報告した法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していたが、官邸が懲戒にはしないと結論付け、法務省の内規に基づく「訓告」となったことが24日、分かった。複数の法務・検察関係者が共同通信の取材に証言した。

 安倍首相は国会で「検事総長が事案の内容など、諸般の事情を考慮し、適切に処分を行ったと承知している」と繰り返すのみだった。確かに訓告処分の主体は検事総長だが、実質的には事前に官邸で決めていたといい、その経緯に言及しない首相の姿勢に批判が高まるのは必至だ。


しかも、驚くべきは、賭けマージャンが賭博罪に当たることは、2006年に第一次安倍政権が閣議決定していたことだ。


「賭け麻雀は賭博罪」安倍政権が閣議決定していた

BUZZAP! 2020年5月23日12:25  by 深海
 
黒川検事長の賭け麻雀を賭博罪と認めなければ、自らの内閣が行った閣議決定をひっくり返すことになります。詳細は以下から。

◆黒川検事長が不問なら自らの閣議決定と矛盾
第一次安倍政権は2006年12月19日、鈴木宗男衆議院議員(当時)の質問主意書への答弁で賭け麻雀が賭博罪(刑法185条、最高で50万円の罰金)に当たると閣議決定しました。

これは2006年12月8日に提出された外務省職員による賭博に関する質問主意書に答えたもの。質問主意書では
 

三 賭博の定義如何。
四 賭け麻雀は賭博に該当するか。
五 賭けルーレットは賭博に該当するか。


 という質問が行われており、衆議院議員鈴木宗男君提出外務省職員による賭博に関する質問に対する答弁書ではこれに
 

三について
 刑法(明治四十年法律第四十五号)において、「賭博」とは、偶然の事実によって財物の得喪を争うことをいう。

四及び五について
 一時の娯楽に供する物を賭けた場合を除き、財物を賭けて麻雀又はいわゆるルーレット・ゲームを行い、その得喪を争うときは、刑法の賭博罪が成立し得るものと考えられる。

 
と答弁しています。質問三への答弁として、賭博は「偶然の事実によって財物の得喪を争うこと」としていますが、この財物には当然現金が含まれます。


また質問四及び五への答弁では賭け麻雀を刑法の賭博罪が成立し得るもの」と明言。ここにある「一時の娯楽に供する物」は飲食物などを指すため、現金は当てはまらず「財物」とされます。

週刊文春のスクープにより、検察庁法改正に絡んで一躍時の人となった黒川検事長が常習的に賭け麻雀を繰り返していたことが判明。現金の授受が生じていたことは黒川検事長本人も認めています。

安倍政権は明確に賭け麻雀を賭博罪と認める閣議決定を行っており、黒川検事長が法的根拠なしで賭博罪に関し不問となれば、ここで極めて大きな矛盾が生じることとなります。

◆黒川検事長が不問なら「テンピンまでの賭け麻雀はセーフ」にも
また本件に関しては、法務省の川原隆司刑事局長は黒川検事長の賭け麻雀のレートがテンピン(1000点100円)だったことから「社会の実情を見ると、必ずしも高額とは言えない」としています。

一方1998年に漫画家の蛭子能収さんが賭博罪で現行犯逮捕された際のレートはリャンピン(1000点200円)でした。

これらを加味すると、法務省のお墨付きで「テンピンまでレートなら賭け麻雀は今後逮捕されない」という前例ができることにもなり、日本の賭け麻雀を取り巻く環境は根底からひっくり返ることにもなります。



さらに、日刊ゲンダイの記事によると、2013年に「東京高等検察庁非違行為等防止対策地域委員会」が、東京高検及び管内の職員に対し、国民の信頼を損ねる非違行為を行わないよう呼びかける文書を配布し、そこで、職員がマスコミなどの利害関係者と現金を賭けたマージャンを行ったり、ハイヤーの送迎を受けてはならないと禁止していたという。
 

黒川氏の麻雀は非違行為に該当 東京高検作成資料で明らか
日刊ゲンダイ2020/05/23 06:00

 22日の衆院法務委。法務省の川原隆司刑事局長は、黒川氏が参加したマージャンの賭けレートが「点ピン」(1000点100円)だったと明らかにした上で、こう答弁していた。要するに「高額とは言えない」から軽い処分の「訓告」にとどめ、退職金の満額支給も問題ない、と言いたいわけだ。委員から「おかしい」とヤジが飛ぶと、川原刑事局長は「処分の量定に当たっての評価だ」などとはぐらかしていたが、そうはいかない。すでに法曹界からは「黒川氏の賭けマージャンは、東京高検が作成した非違行為に触れている」との声が出ているからだ。<略>


<品位と誇りを胸に 今一度見つめなおそう 自分の行動と職場の風土>

「東京高等検察庁非違行為等防止対策地域委員会」は2013年9月、東京高検及び管内の職員に対し、こう題した資料を作成し配布した。

  資料の冒頭には<国民の期待と信頼に応えるよう一層気を引き締めて非違行為等の防止に万全を期してください>とあり、法務官僚や検察官が行ってはならない事例や具体例が示されている。

  例えば<第2 服務規律>では、<信用失墜行為については、刑事罰の対象となる事案が多く、そのほとんどは刑事罰に加え免職などの懲戒処分を受けることになります>とあり、信用失墜行為の代表例としてこうある。

 <勤務時間外の交通違反・事故、麻雀等の常習賭博、わいせつ行為等の犯罪行為>

要するに黒川氏の賭けマージャンは<わいせつ行為>と並ぶ重大な信用失墜行為であり、本来は免職や懲戒処分が相当なのだ。そして、<第3 国家公務員倫理法、同倫理規定>では、<利害関係者とみなす者>として<マスコミ関係者>が挙げられ、<利害関係者から、無償で役務の提供を受けてはならない ※「無償で役務の提供を受ける」とは、ハイヤーによる送迎の受けることがこれに該当します>とある。

  さらに、<利害関係者と一緒に遊技又はゴルフをしてはならない>とし、「遊技」の例で<麻雀>とわざわざことわっているほか、本省課長補佐級以上(検察庁においては、検事16号以上、副検事11号以上など)の職員は<事業者等から一件5000円を超える贈与等を受けたときは、四半期ごとに、翌四半期の初日から14日以内に、各省庁の長等に贈与報告書を提出しなければなりません>とあるのだ。

 法務省によると、黒川氏は、産経新聞と朝日新聞の記者ら計3人とマンションで賭けマージャンし、記者側が用意したハイヤーで帰宅していた。つまり、「利害関係者」から「無償の役務提供」を受け、禁止された「遊技」=マージャンに興じていたわけだ。

週刊文春の報道によると、黒川氏と賭けマージャンした記者は「一晩で10万円負けた」とボヤいていたらしいが、それが事実であれば、黒川氏が果たして贈与報告書を提出していたのかも気になるところだ。いずれにしても、黒川氏の今回の賭けマージャンは東京高検が注意を呼び掛けた非違行為に該当するのは間違いない。やはり訓告という大甘処分ではなく、更迭、懲戒免職、賭博罪での立件が妥当だ。

 

これらの記事を参照する限り、利害関係者と常習的に賭博を行っていた黒川氏が懲戒免職になるのはまさに当然だということになる。

* * *

 ちなみに、政府与党がまだ検察庁人事介入法案の強行採決を諦めていなかったとき、筆者はブログのひとこと欄にこう書いた。
 

この国は果てしなく崩れ始めている。戦後民主主義が根底から覆されようとしているとみなが気づいている。強行採決したら、安倍と黒川氏はもはや完全な悪者となり、国民の一切の理解がなくなり、かえって首相退陣後の追及が確定するものと思う。フランス革命みたいなことさえ起きる可能性が。


 
筆者が政権の崩壊を感じ始めたのは、減収世帯への30万円の給付が、予算がついてから、いきなり国民への一律10万円に取り替えられたのを見たときだ。

政府の最大の存在意義は、社会的弱者を助けることにある。市場経済においては、弱肉強食の原理が働いて、弱い者は淘汰されていくだけだが、そうならないための各種のセーフティネットを用意するのが、政府の最も重要な役割である。

政府が社会的弱者のための最後の防波堤だからこそ、人々は政府を尊重する。
 
ところが、減収世帯の取り分だったはずのものを、まさに予算がつこうとする直前に、首相と公明党代表との会談があっけなく覆した。圧倒的多数の国民が、それを歓迎し、10万円を我に寄越せと叫び、政府の手からこれをもぎ取って行った。

政府は、マジョリティの怒号に屈したが、その時点で、「社会的弱者」とは、もはやこれまでのように、国民のうちわずかなマイノリティではなくなったのだ。

コロナウィルスの影響で苦境に追いやられる圧倒的多数の国民に対し、政府のこれまでのセーフティネットでは、対応できないことが明らかとなった。

そして、コロナ対策が後手になればなるほど、社会的弱者を助けるために存在するという政府の大義名分が失われ、信頼が失墜して行ったのだ。

残るは、圧倒的大多数の国民の怒号の声だけである。その怒号の前にたじたじとなって後退して行く現政権の有様は、さしずめ革命を目の前にしたフランス王政のようだ。
 
ちなみに、砲撃のような文春の記事「黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で“3密”「接待賭けマージャン」 」によって、検察庁人事介入法案が見送りに追い込まれ、多くの人々が、黒川氏の辞任劇に目が釘付けになっているときに、

 「「民主政治を踏みにじる犯罪だ」 有志の弁護士ら662人、安倍首相を刑事告発 「桜を見る会」めぐり」(弁護士ドットコムニュース 2020年05月21日 16時55分)

の記事にもある通り、5月21日、有志の弁護士662人が、予定通り、現職の首相を刑事告発に踏み切った。

検察庁OBの意見書と言い、この刑事告発と言い、憲法を踏みにじろうとした現職首相に対する法曹界の本気の憤りが感じられる前代未聞の出来事である。

黒川氏への甘い処分にも、非難が集中し、支持率が急落した。

内閣支持率27%に急落 黒川氏「懲戒免職にすべきだ」52% 毎日新聞世論調査
(毎日新聞2020年5月23日 16時53分(最終更新 5月23日 18時25分))

コロナ禍の中、企業は倒産し、内定取り消し、解雇、雇止めの憂き目を見る労働者が続出、失業者は1万人を超え、妊婦も出勤を強いられ、時差出勤するために遅刻しただけでも、職場から懲戒を言い渡されそうになったり、人命を後回しにしてまで出勤を命じる職場に着いて行けず、退職に追い込まれたりする人も後を絶たない。ステイホーム中に離婚が増加し、子供たちはDVの犠牲になる。

それなのに、ステイホーム中に賭けマージャンした検事総長が、真相究明も待たず、7千万円近い退職金をもらって自主退職で済まされるはずがあろうか。

なお、検察庁ОBは、意見書の中で、安倍氏を「朕は国家なり」と唱えたルイ14世になぞらえて批判したにも関わらず、安倍氏は5月22日の衆院厚労委員会の審議において、自分を「ルイ16世」になぞらえ、言い間違えたらしいが、これもまた運命的である。

浮世の苦労などほとんど味わったこともない安倍首相と奔放な夫人は、これまで幾度もルイ16世とマリーアントワネットになぞらえられて批判を浴びて来たが、今度ばかりは、首相自らがギロチンで終わる最期を予告したように感じられてならなかった。

以下の記事では、黒川氏を勤務延長させるために、違法な閣議決定を行い、これを後付けで正当化するため、検察庁人事に介入する法案を強行採決しようとし、さらに賭博罪に問われておかしくない黒川氏をなおかばいだてして、罪に問わずに済まそうとした安倍氏の、嘘に嘘で塗り固めたような不正な手続きに対する国民の非難がよく感じ取れる。
 

首相「私はルイ16世と同じではない」」

朝日新聞DIGITAL 2020年5月22日 19時58分


 野党統一会派の小川淳也氏(無所属) 「重大かつ複雑困難な事件の捜査公判に対応するために不可欠だ」という理屈を立てて、違法、違憲の疑いのある閣議決定を強行し、勤務(定年)延長した。その黒川氏が国民が苦しい思いをしている時に外出自粛要請を無視して密室で賭け事をするという信じられない不祥事で辞任する。前代未聞だ。今回の経緯に至った任命責任をどう取るか。

 安倍晋三首相 検事総長が適切に、適正に処分を行い、私は了承した。黒川氏については、法務大臣からの閣議請議により閣議決定するという適正なプロセスを経て、引き続き勤務させることとしたものであり、勤務(定年)延長自体に問題はなかった。人事案を最終的に内閣として認めた責任は私にある。批判は真摯(しんし)に受け止めたい。

 小川氏 進退伺を出した森雅子法相をなぜ慰留したのか。

 首相 森法相には、法務省、検察庁で国民の信頼回復に全力で努めて欲しい。

 小川氏 緊急事態宣言の一部解除があったのに、なぜ昨日、会見をしなかったのか。

 首相 おそらく黒川氏の事案と絡めて質問されているんだろうと思うが、ずいぶん前から、昨日は関西の2府1県に限られていることもあり、ぶら下がりを行うという方針をすでに決めていた。

 小川氏 黒川氏に対する訓告処分は国家公務員法の懲戒処分ですらない。退職金6千万~7千万とも。国民感情に照らして適切だとは思えない。

 首相 検事総長が事案の内容など諸般の事情を考慮し処分を行った。

 小川氏 国家公務員一般職の定年延長については与野党間に大きな議論の隔たりはない。これもろとも廃案にするつもりか。

 首相 検察庁法の改正についても厳しいご批判をいただいている。同時に、コロナウイルス感染症の拡大によって社会状況が厳しい状況で、公務員の定年延長について議論を進めることの批判もある。それを含めて検討をする必要がある。

 小川氏 検察関連法案と一般職の国家公務員の定年福利厚生法案は切り分けることを要求する。

 首相 検察官も公務員であることから、公務員法全体の定年延長の改正案についてまとめている。

 立憲・西村智奈美氏 黒川氏に国会で事実関係を話してもらう必要がある。

 首相 この委員会で予定する法案の質問は6問もあり、相当時間をかけて答弁を用意した。それに関する質問が全くないのは残念だ。その点(=黒川氏の国会招致)は国会で決めることだ。

 西村氏 なぜ黒川さんの定年延長を決めたのか。

 首相 適正なプロセスを経て引き続き勤務させた。検事総長にするために勤務(定年)延長させたものでももちろんない。

 西村氏 1月の定年延長の閣議決定を取り消す考えはないか。

 首相 閣議決定自体を撤回する必要はない。

 共産・宮本徹氏 元検事総長らが出した意見書。検察官にも国家公務員法の適用をすると従来の解釈を変更したことについて、「フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせる姿勢だ」と批判。真摯(しんし)に耳を傾けるべきではないか。

 首相 あの、ルイ16世(正しくは14世)と同じとまで言われると、多くの方々はそれは違うのではないかと思うのではないか。私がここに立っているのも、民主的な選挙を経て選ばれた国会議員によって選出された。根本的なところをよく見ていただかなければならない。共産党はどのように党首を決められるか承知をしていないが、我が党で選挙によって総裁を選んでいる。


安倍氏は、自分は民主的プロセスを経て選ばれたと自称することによって、自分が取ったすべての強引かつ違法なプロセスが正当化されるかのように考えているようだが、国民は首相を直接選ぶことはないし、自民党が与党となったのも、多くの国民が選挙権を放棄し、投票に行かなかったためである。
 
自民党は決して国民の圧倒的大半から支持を得ているわけでもないし、それゆえ、安倍氏も決して民主的プロセスを経て選ばれたのではない。また、民主的なプロセスを尊重すると言うならば、首相の退陣を求める民意は尊重せねばならない。

支持率も20%台に落ち、「#さよなら安倍政権」というハッシュタグもツイッターでは盛り上がりを見せている。

今度こそ、安倍氏は政権を投げ出すとか、退陣するだけには終わらないのではないかと筆者は見ている。あまりにも多くの疑惑が噴出しているからだ。

ソ連崩壊の時のように、倒れるときには、今までの悪事が一挙に明るみに出され、これまでにないほど信頼を失い、断罪されることになるのではないか。

* * *

さて、コロナ禍で様々な企業において、労働者に対する違法な仕打ちが相つぎ、最も弱い立場にある人間が、最も憂き目を見させられている現状を見ると、筆者は、こうした事態を変えるためには、不当な仕打ちに対しては毅然と抵抗し、抗議の声をあげることが必要であると考える。

不当に軽い処分の裏には、不当に重い処分がある。.

本来は賭博罪に問われるべき検事総長が、懲戒免職を免れ、円満退職していく陰には、「上級国民」に逆らっただけでも、懲戒を言い渡されたり、左遷されたり、退職に追い込まれたりしている「下級国民」らの悲劇がある。

こうした不当な賞罰を終わらせるためには、それを明るみに出さねばならない。弱者だけがすべてのしわ寄せをこうむり、沈黙のうちに身を引くというあり方を変えねばならない。

そこで、一人一人が声をあげねばならないのだ。

ちなみに、コロナ禍において、我が職場でも、以上と同様のことが起きた。処分されるべき社員が見逃され、処分されてはならない人が身代わりに処分を受けたのである。ある上司は、筆者の目の前で、コロナを理由とする時差出勤さえ許さないと、懲戒懲罰を持ち出して、社員を脅して言った、「不労所得なんてものはないんですよ!」と。

そんな上司たちが、社員を搾取した金で、さらに事業所を拡大し、東京の一等地にオフィスを新たに構えようとしている話を聞いて、筆者は心の底から怒りが込み上げて来た。

彼らは土日祝日も問わず休みも返上して働きづめに働いており、その生き方を全社員に強要しようとしている。
 
この人々は、未だに昭和的価値観を生きており、能力のある、搾取できそうな社員からは、とことん労働を巻き上げるためにマインドコントロールを行う。一人一人から無限に吸い取ることしか考えておらず、吸い取れないと分かれば、ポイ捨てする。それだからこそ、コロナが広まろうとも、社員に遅刻欠勤早退を一切許さず、少しでも労働を忌避しようとするそぶりを見せた社員は、不当な懲罰で脅さずにはいられないのだ。

ところが、その一方で、コネにより結託し、数の力を頼む者には、処分を下すべき場面で大甘の態度を取る。そして、その身代わりに正しい人を罰する。
 
彼らは、自分たちの頑張りが、自分たちに富をもたらし、安全をもたらしていると思い込み、馬車馬のような頑張りをやめれば、生きられなくなると本気で信じ、他の人々にも、同じ生き方をしない限り、安全は保たれないと教える。

だが、それは自己をより頼む生き方である。別な言い方をすれば、自分の努力によって自分を救おうとする道である。自由を目指しているように言いながら、絶えず欲望の奴隷、死の恐怖の奴隷となる生き方である。
 
しかし、そんな生き方に対し、聖書はどう言っているだろうか。神の国と神の義とをまず第一にすれば、すべては添えて与えられると、御言葉は言う。野の花も、空の鳥も、労働により己を養っているのではない。まして神は空のれ以上に人を気づかわれ、養って下さる。だが、そのためには、人はパンのみで生きるのではなく、神の御言葉によって生きなければならない。神の戒めを第一に生きる、その点さえ間違わなければ、人の生存には神が全責任を負って下さるのだ。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。」(マタイによる福音書6:33-34)

「人はパンだけで生きるものではない。
 神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイによる福音書4:4)
 
だから、筆者は、自己の努力によって自分を救おうとする生き方は、聖書の神の救いに敵対する生き方であるから、必ず、破滅に終わると予告して来た。

己の努力により頼む人々は、事業を拡大し、国の頂点まで至り着き、果ては天まで届こうとしているのであろうが、その高慢は必ず打ち倒される。

それが分かっていたので、筆者は、人間を歯車とするシステムが完成しないように、その最後の仕上げの段階で、その作業から身を引いた。

上司は筆者を含め、社員らを駆り立て、知恵を出させて、人さえ集まれば、永遠に利益を叩き出すためのシステムを完成させようとしていた。

あともう少しで、人さえいれば、半永久的に利益が生まれる循環の輪が完成しようとしていた。だが、筆者はそのように人間を駒として利益を叩き出すシステムを完成させることは、それ自体、悪であると悟った。
 
人間は、輪の中を走り続けるハムスターではない。走り続けることによって誰かに利益をもたらすために生きているのではない。それにも関わらず、人間を永遠に「輪」を回転させるための駒として利用する「輪」など、あってはならないのだ。
 
おそらく、利己主義者しかいないその団体では、要となる人物が抜ければ、意思疎通が成り立たなくなり、塔は完成しないものと思われる。だが、ただ放置しているだけでは、石垣が残るかも知れない。基礎から解体する作業が必要なのだ。

* * *

私たちは、今、改めて、問わねばならない。

自分の主人は誰なのか。

我々は誰の言葉によって生きているのか。
  
ムラ社会の掟やら、政府や権力者の思惑や、都合やらが、私たち一人一人を生かす命の源泉なのだろうか。いや、そんなものを優先している限り、我々はいずれ生存を断たれるであろう。
  
もしも企業の経営者から生きる糧をもらって、生かされていると考えるなら、実際、その人には信じる通りのことが起きるだろう。つまり、その人の生殺与奪の権は、企業の経営者に握られており、彼は経営者の一存で、簡単に生活の糧を失って、路頭に投げ出される駒にしかなれない。

だが、聖書は、まことの神を信じ、その御言葉の戒めを守って生きる者は、一人一人がこの世のすべての権威と支配を超えて、神の御言葉によって直接、生かされていると教える。

つまり、神の御心にかなう正しいことを主張し、正しい行いをしているならば、自然と、生活は天的な糧によって保たれるということだ。
 
神の御言葉とは、すべての権威と支配を超えて、高く掲げられた御名を持つキリストを指し、神の御言葉の戒めを守って生きるとは、キリストと共に共同統治者として、この世のすべてを超越して治めることを意味する。

これは目に見えない領域における絶大な権威と支配を意味し、それに比べて、我が国において、目に見える領域で、主権が誰にあるかという問題は、はるかに低い次元の問いであって、答えるのは易しい。

その問題には、信仰がなくとも、誰でも答えられる。
 
政府が主権者なのか。国民が主権者なのか。

それを問うだけで良い。

かつて筆者は上司にこう言ったことがある、「国の意向などというものが存在するわけではありません。国とは、私たち国民のことであり、私たちが国なのです。」

それは、多くの企業や団体が政府に媚びへつらうことで、優遇してもらい、生き永らえようとする中、我々は国の顔色など伺わず、毅然と頭を上げよう、国の意向とは民意のことであり、我々自身が国なのだから、という、筆者の提言であった。
 
今、私たちは国民主権という、実に当たり前のことがらを取り戻さなくてはならない。

ところで、世の中には、悪人を擁護し、労働者を不当に追い詰めるような心ない弁護士もいる一方で、662人の有志のように、気骨のある弁護士たちもいる。
 
そんな勇気ある一人と見られるあやめ法律事務所の神坪浩喜弁護士が、「国民主権とは何か」を、分かりやすくブログに解説してくれていたので、これを抜粋させてもらうことにする。
 

国民主権って何だろう?

そもそも「国民が主権者であること」=「国民主権」って何でしょう。
 
中学生、高校生向けに、国民主権についてわかりやすく書いてみました。


「国民主権って何だろう?」

 社会の教科書で出てくる日本国憲法の三大原理をおぼえているかな。

「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」だね。

これらの言葉は出てきても、その意味を理解することは、なかなか難しい。

 

特に「国民主権」は、言葉のとおり、主権が国民にあるということだが、

わかったようでわからない気がする原理だ。

なぜ日本国憲法は、国民主権を採用しているのだろうか?

 

明治憲法(大日本帝国憲法)では、主権者は天皇とされ、「君主主権」がとられていた。

戦争後に定められた日本国憲法では、天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるとされ、主権が国民にあることが明記された。

 

なぜ、国民主権とされたのだろう。

それを理解するためには、そもそも「主権」という言葉の意味を理解しておく必要がある。

 

「主権」とは、国を統治する権力のことだ。

国を統治するしくみを定めたものが憲法であるから、主権があるということは、

憲法を定める権力(憲法制定権力)があるという意味でもある。

君主主権であれば、天皇や王様が国の統治権をもっていた。明治憲法を制定したのも天皇だ。

 

国民主権ということは、国民が統治権を持っていることになる。

国民が憲法制定権力者だ。

国を統治する権力というのは、社会秩序を維持するために法律を定め(立法権)、

法律を執行する権力のことだ(行政権、司法権)。

 

社会秩序を維持するために、秩序を乱した者に対しては、

裁判にかけ刑罰権を行使するし、ときには強制的に税金を徴収する。

外国との関係では、主権を維持するために、外交を行ったり、ときには戦争を行ったりする。

 

国民に主権があるということは、国会議員が法律を定め、

裁判官等の公務員が権力行使をできる源泉に、国民があるということだ。

権力を行使するものは、国民から権力行使をするように託されている。

そこで、権力を行使する際には、「国民のために」行使しなければならない。

 

なぜ、日本国憲法は、国民主権を採用したのだろうか。

君主主権ではだめなのだろうか。

 

国民に主権があるとすることによって、権力を行使する者は、

国民のことを意識し、国民のために権力行使をする必要になった。

権力者が好き勝手に国民の権利自由を侵害することができにくくなった。

 

国民に主権があるとすることによって、政治=権力行使に国民が参加したり、

監視したりする理屈が立つようになる。

主権者である国民が、権力行使の「主体」にもなるのだ。

 

逆に、特定の誰か(王様)に主権、国をおさめる統治権があるとすると、

国民は、おさめられる「客体」として、国政に参加する理屈がつけにくい。

また王様の好き勝手に、権力行使がなされ、国民の自由も奪われやすくなる。

 

国民主権によって、権力の濫用が防止され、国民の自由が保障されやすくなるのだ。

すなわち、国民主権の目的は、国民の基本的人権の保障、個人の尊重のためにある。

 

国政は、国民の代表者によって行われる。

代表者は、選挙で選ばれる。

代表者である国会議員がとんでもない法律をつくった場合や、

誤った権力行使をした場合には、国民が次の選挙で、落選させることもできる。

 

そこで、選挙というのが、主権者として重要な局面となるのだ。

選挙を通じて、国会議員、地方自治体の首長(知事や市長)、地方議員を選ぶ。

現職の国会議員が、国民の代表者としてふさわしくないということであれば、

選挙で議員をやめさせることも可能になる。

 

国会議員が国民の代表者として、適切に権力行使をしているのかをチェックし、選挙で審判をくだす。

自分の1票だけは、確かに、微々たるものだろう。

しかし、みんなの1票が集まれば、政治に変化を起こすこともできるんだ。

それに、表現をすることを通じて、同じ考え方の人を集め、さらに多くの人に、訴えることも可能になる。

この意味で、憲法が保障している「表現の自由、集会結社、言論の自由」はとても重要だ。

 

選挙で投票することは、主権者の役割を果たすことで、とても大切なことだよ。


~~~~~~~~~

国民主権のしくみ 

 国家権力の源泉が国民にあるとするとして、権力の濫用を防止し、国民の権利自由をまもる

 

 国民

 ↓ 憲法を定める

 憲法

 ↓ 縛る、コントロールする

国家権力

 ↓ 統治する

 国民



* * *

最後に、くどいようだが、もう一度、繰り返しておきたい。

国民は、政府によって治められる「客体」ではない。

国民こそが、政府を治める「主体」なのであって、主客転倒してはならないのだ。
 
そこで、時の政権によって形作られる政府が、国民の統治(総意)を離れて、国民の利益のためにならないことのために暴走して行くならば、国民はその政府を無用なものとして廃棄し、取り替えることもできる。

国民を無視して、好き放題の振る舞いをする首相に、これ以上、「自分は選ばれた」という口実を与えないためにも、国民は自らの意思を働かせて、主権を行使し、承認できないものには不承認を言い渡さなくてはならない。

政治家の権威の源泉は、国民の負託にある。

彼らの権威の源は、「国民から選ばれた」という自負にあり、その口実を取り去ろうと思えば、私たち国民が、源泉として流し出す水を止めること、すなわち、彼らを承認せず、負託しないことが必要である。
 
統治者であるためには、自らの意思をはっきり表明し、権限を行使しなければならない。

容認できないことには、きちんと抗議の声をあげ、ノーを突きつけることが極めて重要である。
 
その意思が政治という鏡に確かに反映されるまで、これを表明し続け、貫き通すことが極めて重要である。

何度も言うが、国民一人一人は、政府や偉い政治家によって治められる「客体」ではない。

私たち一人一人は、誰か偉い権力者の意のままに、生殺与奪の権を握られて、日々死の恐怖に駆り立てられながら、まるで強制収容所のような職場の前で、「右」「左」と選別されて、馬車馬のように働かされ、あるいは、取るものがなくなれば、あっけなく路頭に迷わされるような弱い存在ではない。

国民こそが、政府を治める主体であり、国民の声が、政治を形作り、政府の向かう方向を決めるのである。その本来の正しい秩序が、目に見える領域に、はっきりと現されなければならず、そのためにも、私たち一人一人が、長い物には巻かれろ式に、時の政治権力になびいて客体として生きることをやめ、個としての強さを取り戻し、主体性を取り戻し、主権を行使しなければならない。
 
別な言葉で言えば、今、どちらがリアリティなのかが問われている。

私たち生きた一人一人の人間がリアリティなのか、それとも、私たちを入れる「入れ物」に過ぎない組織、団体、企業、政府などがリアリティなのか。

我々国民一人一人は、組織という入れ物に過ぎない「輪(和)」に利益をもたらすために、いつまでも輪を転がして走り続けねばばらないハムスターなのか。

輪(組織)のためにハムスター(人間)があるのか、ハムスター(人間)のために輪(組織)があるのか。
 
自分を率先して道具として差し出し、自ら客体となって「輪」を転がすために身を売るならば、走り続けることができなくなった時点で、用済みの存在となるだろう。

それに同意できないならば、早い段階で、システムの奴隷としての生き方をやめて、人間としての主体性、プライド、気概を取り戻すしかない。

自分は一体誰なのか、その自覚が、一人一人の生き様を決めるのだ。

安倍政権は、実に多くの国民が、自ら主体性を捨てた結果、現れて来たものである。

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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