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3.株式会社メディアテラス 代表者杉本徳久に対する強制執行(債権差押命令)
  
さて、まずは次の事実から先に読者に報告したい。

判決に仮執行がついていれば、控訴中もしくは判決の確定前であっても、判決はただちに効力を有する。そこで、原告の賠償請求が判決で認められれば、その分は、被告の「債務」としてただちに取り立てが可能となる。

ここから先は、金融業界の人々が専売特許としている世界だ。おそらく悪魔と暗闇の勢力はこの分野を知り尽くしているはずで、ドラマに出て来る取り立て屋、地上げ屋などを思い出すだけで良い。

もちろん、良心的に判決に従ってくれる人々に対して、こんな強制命令は必要ない。代理人などがついている争いの場合であれば、判決言い渡しの後は、代理人同士で穏やかに解決が図られるのが常であろう。

しかし、本件が特異であるのは、杉本徳久という人物が、これまで、当ブログ執筆者の側から接触を図る度毎に、事を荒立て、筆者に対するさらなる権利侵害に繰り返し及んで来たという事実である。

過去を振り返っても、当ブログ執筆者が今回、被告として訴えた杉本徳久は、2009年に筆者がたった1件のコメントの削除を求めただけでも、これに応じず(杉本の行為は筆者に対する著作権侵害であると、判決でも認められている)、筆者が書き送ったメールの文面が、あたかも無礼極まりないものであったかのように主張し(これについても、後程筆者のメールを全文公開する)、かつ当ブログの内容を不服として、ただちに当ブログに対して1千件のコメントを伴うバッシング記事によって応酬した経緯がある。

その後も、杉本は当ブログから気に入らない記事を削除させようと、当ブログ執筆者の個人情報を無断でネット上に公表すると予告する嫌がらせのメールを大量に筆者に送りつけた(このことは過去の記事で指摘した通りである)。

さらに、杉本は唐沢治など、当ブログ執筆者にかつて関係のあった人物に接触し、当ブログ執筆者に関する情報を収集(これは次回以後の記事で詳しく指摘)、さらに、2017年に筆者の側から和解を申し入れるためにメールを送った際にも、これを無断で公開した上で筆者を名誉毀損し、その後、筆者の側から和解を目的とする調停を申し入れると、筆者を名誉毀損する記事を20本以上に渡って大量にブログに大量投稿(判決で20本以上の記事の削除が命じられた)、当然ながら調停は決裂して訴訟に転じ、その結果、今回の賠償が杉本に命じられたのである。

第一審でも、被告杉本が、被告村上密と一緒になって、原告に反訴すると脅しをかけていたことは幾度となく記した通りであり、当ブログ執筆者は、このように常に騒ぎを無制限に拡大しては、紛争をこじらせた挙句、事態の収拾に何の貢献もして来なかった被告杉本に対し、第一審の判決言い渡し後は、いかなる直接交渉も行なわないことに決めた。

読者にも、このような人物と接触することが何を自分にもたらすのか、よく考えることをお勧めしたい。
 
むろん、第一審の判決言い渡し後、杉本が筆者に賠償金の支払い方法をメール等で尋ねて来ることも一切なかった。個人情報を暴露すると言って一方的に人を脅したり、信仰生活について不当に干渉し、僭越な助言を行うメールを送りつけるときにはためらいがないのに、自分に不利な判決には、どこまでも知らぬふりである。
 
そこで、第一審の判決を実行に移すために、当ブログ執筆者は、強制執行により財産の差し押さえという方法を取ることにした。その申立てが許可され、裁判所の差押命令が届いたので、ここに掲載しておく。


株式会社メディアテラス 代表取締役を第三債務者とした裁判所による債権差押命令

むろん、これは第一回目の法的措置であるが、これは企業に対するものであるから、債務者である杉本がこれに従わず、あくまで「債務」から逃げようとするならば、こちら側では、個人としての杉本をも対象として、第二、第三の措置を講じなければならない。
 
だが、債務から逃げることが得策ではないと言えるのは、この種の措置は、繰り返せば繰り返すほど、より一層、企業の信用を低下させ、個人にとっても、ダメージとなるからだ。

判決が出ても、すぐに従わず、通常の企業から見て、さして高額でもない賠償金すら、ただちに支払う能力のないほどまでに、資金繰りが悪化しているとすれば、そんな企業とこの先、取引を行うことは、非常な危険であるから誰にも勧められない。

以前に杉本は、筆者がこの会社が幽霊会社になっているのではないかという懸念を記しただけで、激怒して筆者を罵倒・侮辱・名誉毀損しつつ、尊大な態度で、法務局に行って登記簿謄本を取れば、自分の会社が幽霊会社でないことくらいはすぐに分かるはずだと叫んでいた。

その頃、杉本は、自分の会社の資格証明書の取得代金が、後に債権差押の執行費用として、自分に請求されることになると、少しでも予想していたであろうか。

このように、気に入らない他人を誹謗中傷することだけは大いにしても、その後、自分に降りかかる事態を全く予想できないのは、まことに愚かであると言う他ない。

筆者が今、この記事を書き記しているのは、これと同様の現象が、掲示板で当ブログ執筆者に対する誹謗中傷を日夜重ねている連中の誰に対してでも、起きうるためである。

ある日、IPアドレスから個人が特定されて、掲示板の投稿者であるあなたに訴状が届く。それを見たあなたの家族は、あなたが日夜、掲示板に他者を誹謗するコメントを投稿していたために、そのような事態が起きたことをどう思うであろうか。

債務は、逃げれば逃げるほど、さらに膨らむ可能性もそれなりに秘めている。杉本が、幽霊会社かも知れないと言われたことを実現させたくないならば、早期に対処しておくことが必要となろう。
 
今回は、企業の代表としての杉本徳久を第三債務者としているが、勤務先にこうした命令が届いた場合には、それ以上、穏便に勤務を続けられるかどうかは定かではない。

いずれにしても、騒ぎを煽るだけ煽って、自分に不利な判決が言い渡されるや否や、その事実から目を背けたり、事態を収拾する一切の努力を、すべて相手任せにするような人物や企業と、この先、取引をする価値があるかどうかは、各自がよくよく考えられたい。
 
メディアテラスの代表である杉本が、企業の代表として、この問題にどう手を打つのかが注目される。

* * *

4.杉本のみならず、村上密に忖度する信者を待ち受ける厳しい末路

さて、前から書いた通り、杉本徳久による2009年に始まった当ブログ執筆者に対する執拗なバッシングと、正当な理由のない個人情報の開示要求等の脅しの引き金となったのは、それより少し前に、村上密が当ブログ執筆者だけを標的として掲載した以下の記事であったものと見られる。
 
村上密は、2009年7月に17日に、当ブログ執筆者が、村上密が唱えた「カルト監視機構」の構想を悪魔的な発想であると批判したことに激怒し、同じ教団で育って来た信徒である筆者を個人的に非難するバッシング記事「ヴィオロンさんへ」を自らのブログに掲載した。

だが、何よりも注目されるのは、そこで村上が、当ブログ執筆者に対して、「藪の中から石を投げて顔を出さない無責任な生き方から早く卒業することです。」と記し、当ブログ執筆者がペンネームでブログを執筆している行為を、まるで許されないものであるかのように、正当な理由なく非難していたことである。

 

村上密が、自教団で子供の頃から育ち、村上の教会に身を寄せたこともある当ブログ執筆者から批判を受けたことを許せず、筆者を個人的にバッシングするために掲載した記事
 


 また、この記事が発表された時点から、村上密が、当ブログ執筆者が、村上の像を「創作」している(=悪魔化している)と主張していたことも、注目に値する。

だが、事実はどうであろうか?

通常のプロテスタントの牧師は、信徒を名指しで非難する記事をブログに掲載したりしないし、信者の著作者人格権を否定して、実名を公表せよと要求したりもしない。

もちろんのこと、全宗教界を取り締まる「カルト監視機構」などという恐ろしい機構の設立を提唱したりもしない。

さらに、被害者を募って、自分の所属しない教会に裁判をしかけたり、同業の牧師を誹謗中傷する記事をブログに投稿し続けるなど、他の牧師には類例のない行為である。

何よりも、村上密自身が、常日頃から、裁判をしかけられた側の教会の牧師や信徒たちから、自分が「教会の破壊者」と呼ばれていると、得意げに周囲に吹聴していたのである。

むろん、教会の破壊者とは、悪魔のことである。

このように、村上自身が、自分は裁判をしかけられた教会から、悪魔のようにみなされていると、自慢話のように喜んで吹聴していたのだから、それを信じる人が出て来ることを、村上が非難できる筋合いにはあるまい?

それにも関わらず、一体、なぜ村上は筆者のブログ記事だけを、村上を悪魔化した「創作」であると、躍起になって否定せざるを得ない理由があるのだろうか。実におかしなことである。
  
いすれにしても、この頃から、村上密が、当ブログがペンネームで執筆されている行為を、何の正当な法的根拠もなく、許しがたいもののようにみなして、暗に非難していたこと、そして、前回述べた通り、杉本も、村上によるバッシング記事のURLを、当ブログを非難した記事で引用していたことを見ても、杉本が当時から、村上の言い分が正しいかのように、鵜呑みにしていた様子が分かる。

杉本は、当ブログ執筆者に対する権利侵害に及ぶことで、あたかも自分が村上の思想の代弁者のごとく振る舞い、村上に代わって筆者に制裁を加え、報復しようとしたものとみなせる。
 
そのことは、何よりも、杉本が賠償を命じられた直後の4月1日に、今度は村上密自身が、当ブログ執筆者に対する著作者人格権の侵害に及んだ事実を通しても分かる。

杉本が口を封じられたので、いよいよ村上本人がお出ましになるしかなくなったのである。もしも杉本と村上との間に、いかなる思想的つながりも、連帯もなかったのであれば、杉本が口を封じられたからと言って、それを機に、村上が以上のような権利侵害に及ぶ理由はなかったはずである。

だが、実際には、村上が以上の行為に及んだことは、村上が2009年以来、何としても当ブログ執筆者の実名を暴いてやりたいという(杉本徳久同様の)執念を持ち続けていたことをよく物語っている。筆者から見れば、杉本はただ村上の執念を、忠実に体現して実行しただけなのである。
   
そこで、筆者は村上による権利侵害を不法行為として控訴、および刑事告訴を完了しようとしている。掲示板における村上忖度信者は、この事実をファンタジーか何かだと考え、筆者に勝利はないとしきりに吹聴しているが、村上自らが第一審では出さなかった不法行為の証拠を自ら揃えたのであるから、村上の今後は、これまでとは全く違ったものとなろう。
 
さて、杉本がどれほど村上の思惑を忖度して行動していたのか、村上から杉本に具体的な指示があったのかなかったのかは不明だが、いずれにしても、村上の記事が、杉本による権利侵害のトリガーになっていることは十分に確認できるのであり、同様のことが掲示板にも当てはまる。

掲示板でも、当ブログに対して、日夜、著作者人格権の侵害、著作権の侵害、名誉毀損等の権利侵害が行われているが、これらの書き込みはほぼ100%、村上密の支持者によるものである。

これらの信者は、村上が新たな記事を発表する度に、その主張を真に受け、村上を擁護する目的で、村上の政敵としての当ブログ執筆者を「悪魔化」して弱体化し、それによって、村上に代わって筆者に報復を加えるためにこそ、日夜、筆者を誹謗中傷し続けているのである。

しかし、実際に、悪魔と呼ばれるにふさわしいのは誰であろうか。筆者はいかなる法も犯しておらず、膨大な手間暇をかけて、自らの主張を合法的に立証すべく、正当な訴訟手続き、刑事告訴の手続きに及んでいる。

ところが、村上密を支持する掲示板の投稿者は、匿名で筆者を誹謗中傷し、「藪の中から石を投げて顔を出さない無責任な生き方」を続けているだけだ。

信仰を持たない通常人であれば、これほど激しい誹謗中傷を受ければ、2日と持たないだろう。しかし、掲示板に溢れる村上忖度信者は、他者を死に追いやっても、まるで反省のないほどに、残酷かつ無慈悲な言動を続けている。ここまで人間性を失った異様さを見れば、彼らが、まるで教祖麻原のために大勢の人々を死に至らしめる犯罪行為を犯したオウム信者と同じようになって、すでにカルト信者と呼ばれるにふさわしいあらゆる特徴を備えていることが、読者には十分に見て取れよう。

筆者が警告しているのは、このようにまで正常な精神を失った信者の群れを「実」として生み出す宗教指導者は極めて危険である、という一言に尽きる。

常識を失い、法令を遵守する精神もなくなり、人としての思いやりもなく、まるでヤクザのように殺気立って、日夜獲物を探し求める獣のように、口汚い言葉で誹謗中傷するための標的を探し求める、異常な取り巻きが主たる支持者となっている牧師――そのような誹謗中傷を扇動するがごとくに自ら信者に対するバッシング記事を掲載してはばからない牧師――さらに、自身が、学校時代に級友に暴力をふるって退学に追い込んだり、「教会の破壊者」と呼ばれていることを、自慢話として吹聴する牧師など、プロテスタントのどこを見ても、村上密の他にはまず見当たらない。

村上密は、鳴尾教会との裁判に敗れてから、若い後継牧師(長澤牧師)に道を譲ると言って60代で引退したが(アッセンブリー教団の平均的な退職年齢は80代であると村上自身が書いていることを見ても、これがいかに不本意な早期の引退であったかは分かるだろう)、それにも関わらず、信徒総会の決議によらずに、後継牧師を勝手な理由で退けて、自分の妻(恵子)を主任牧師に据え、今も自分の息子を牧師として奉職させている。

ゆくゆくはこの教会を息子に継がせようという意図が透けて見えるが、このような現象をこそ、教会の乗っ取りと言うのではないだろうか? これはかつて鳴尾教会で、村上が義理の父である津村牧師と協力して、津村牧師の後継牧師夫妻を追い出した手法にそっくり重なる。その当時から、信徒総会の決議を経ずに、自らの一存だけで密室で事を進める村上の手法は全く変わっていない様子が見て取れる。その上、村上の家族においても、子供の不幸が相次いでいる様子を見れば、村上密という牧師がどれほど悪しき「実」を結んだのかを人々は如実に理解できよう。

このように、村上の主張はすべてがさかさまである。乗っ取られてもいない教会に「乗っ取り」の容疑を着せ、自分のしていることこそ、教会の乗っ取りであるとは認めない。自分が属していない他教会にまでも、裁判をしかけて、教会を弱体化させ、自分が悪魔化され、「創作」されている、などと言いながら、罪もない信者を悪魔化し、自ら権利侵害を犯し、誹謗中傷を容認・黙認しながら、信者を嘲笑することにためらいがない。

村上密が牧師であるにも関わらず、まるで訴訟を悪ふざけの場であるかのように、杉本徳久と共に(実行もできないのに)筆者に反訴の脅しをかけた様子を見るだけでも、信徒は、当ブログにおける村上に対する批判が、断じて筆者の「創作」などでないこと、このような悪しき牧師の本質が何であるかを、十分に知ることができるだろう。
 
このような事実が明らかになっても、まだこの牧師の言い分を信用するのは、まさしく愚行と言う他ない。村上の追随者には厳しい運命が待ち受けている。その最初の第一号が、杉本徳久なのであって、掲示板の投稿者たちも、杉本の今日は自分の明日であることをよく考えるべきであろう。

偽預言者の目的は、自分と共に破滅に追い込む人間を、一人でも増やすことにある。従った者には、厳しい報いが待ち受けているのであって、彼らは自分が「教祖」と拝んだ人物と共に恥をこうむり、悪事の報いを受けることになる。

彼らの行く末は火の池であるが、この世においても、切り倒されて火に投げ込まれるため、よくよく用心されたい。

偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶことできない。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」(マタイ7:15-20)

2.サイバーカルト監視機構はない!と主張する人々の犯罪行為 等へ続く。

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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