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さすがに週末と祝日には、東京電力は計画停電を実施できなかったと見え、ようやく日常らしい光景が戻ってきた! 今日こそは、緊急事態が日常化した我が職場のことはすっかり忘れて(しかも、この期に及んで、総力を挙げて事態収拾に当たった派遣社員に容赦なく減給を言い渡そうとした職場の非情さよ!)、横浜の海を見に行こうと思った…。

週日には命がけで出勤して事態収拾にあたった上、休日になっても、地震の影響で家に閉じこもっているなど言語道断であった。街に出てみると、つい昨日の夜まで、戒厳令でも敷かれたように人影がまばらだったのに、今日は、私と同じことを考えたらしい大勢の人々が、陽気に誘われて、たくさん街に繰り出していた。

まだまだ節電のため、至るところでネオンが消えているとはいえ、道ゆく人々の表情は比較的明るい。原発での事態も収拾されていないというのに、何と80%以上の人がマスクを着用していなかった。皆、普段どおりの格好で颯爽と歩いている。きれいに化粧して、春めいた服装をした娘たち、恋人らしいむつまじいカップル、買い物袋を提げて歩く人々、はしゃぎまわる子供たち…。ショッピングモールは人でにぎわっていた。一体、この平和な風景からどうして今回の惨状を思い出せよう? 



原発事故を恐れて、横浜外へ退避し、すでに大阪や神戸へ疎開した人々もいるらしいが、ここに残って歩いている人々は、地震の恐怖の中にとどまることを断固、拒否し、まるで何事もなかったかのように、一刻も早く、我が街の日常に貢献することを使命と心得ているらしかった。そこには何も特別なことをせずとも、ただ普段どおりの日常を生きることによって、受けた打撃から立ち上がろうとしている人々がいた。

このところ、食料品店では品不足が続いていたが、私にとって、そんなことは何でもなかった。私の生存は主の御手にあること。イスラエルの民には、荒野で毎朝、主がマナをお与え下さったではないか。そこで私は、ガソリンスタンドの長蛇の列に並ぶこともなければ、買占めに走ることもなかった。明日の心配をして何になろう、その日の苦労はその日にて足れり。

そう思っていたら、会社の社員食堂が休みになっても、主がちゃんと私のために、お昼ご飯を用意して下さっていた! 正直なところ、地震以来、交通機関の麻痺やら、職場の緊急事態のために、かなり疲れを感じていたが、まさに野の花や空の鳥以上に、主が私を養って下さっていることが分かり、言い知れない感動を覚えた。主に背を向けて生きていた頃は、貧しさと食いっぱぐれる危険と常に隣合わせの私であったが、今は日用の糧が尽きたことがない。

「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。 」(ローマ8:11) 主の御名は誉むべきかな!

さて、今日、我が家のお昼には、牡蠣とベーコンをふんだんに使って、オリーブオイルで炒めたペペロンチーノ風スパゲッティを作った。食糧不足だからこそ、いつもと違う食材を使える。にんにくとタカのツメがピリリと効いた自信作ゆえ、自分でも大満足の出来で、写真を自慢げにメールに添付して友人に送ると、「美味しそう~、お腹が大合唱おこしてるよ~」と、今しもよだれが出そうな返信があった。友人もその後、シャキシャキもやしと甘いコーンがどっさり入ったとんこつ味噌ラーメンを店に食べに行ったらしく、まさに絶品同士の勝負!!(!?)

こんな能天気な話を書き連ねているのは、地震の爪あとがどれほど深刻であるか分かっていないからではない。この国が経験した悲しみから抜け出すのには、長い時間がかかるだろうと思う。なおさら原発の事態収拾までには時間がかかるだろうと思う。さらに、国際情勢のことを考えるなら、今回のことは、前哨戦に過ぎないかも知れない。国土全体が喪に服しているかのように、大き悲しみにつつまれているのが感じられる。それでも、状況は予断を許さず、災害はこれで終わらない可能性があることも分かっている…。

だが、それでも私は言いたいのだ、「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」(詩篇23:4)と。

主イエスの十字架は決済済みの取引である、私たちはその確信に立つ。たとえ悪魔がどれほど吼えたけったとしても、目に見えるものがどれほど崩れ去り、万物がどれほど目の前で「巻かれて」行くとしても、旧創造がどれほど深刻な滅びに定められていることが分かるにせよ、私たちの望みは、目に見えない、永遠に続く御国へと置かれている。そして、御国とは、断固、死後に初めて到来する世界のことなどではない、主は言われたのだ、「…わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」(マタイ12:28)と。

ハレルヤ! 信じようではないか、御国の統治は私たちの只中にすでに来ているのだと! アダムは全地を治めることに失敗し、アダムの罪のゆえに全地が堕落した(罪に被爆した)。だが、主イエスが来られて、十字架で肉体を裂かれることを通して、全ての被造物に贖われるための道を開き、神が人を通して地を治めさせようとされたその最初のご計画へと私たちを連れ戻して下さった。私たちキリスト者は今、どこに立っているのだろうか? 滅び行くこの世の秩序の中にか? いや、御国の秩序の中に!

信じよう、私たちの内におられる方は、万物をその身に着て十字架へと向かわれ、そこで死をも打ち破られた方。この方とともに、私たちはすでに死に定められ、水をくぐり、一度限り死んで、神の霊によって生まれ、今や十字架の向こうにある死の向こうにあるいのちへと移されたのである。この世の君が支配することができるのは、十字架の死を拒んで古き命に生きているものだけである。主イエスは言われたのだ、「この世の君」「わたしに対して、なんの力もない。」(ヨハネ14:30)と。

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)
「この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。」(Ⅱコリント5:4)

信じよう、信仰を通じて、私たちのうちに十字架で死んでよみがえられた御子の圧倒的ないのちが働き、死をも飲みこんでしまうことを…。この脆く弱い土の器である私たちが、どうか主イエスの圧倒的なよみがえりのいのちの統治が何であるかを知ることができるように、そして、この方のまことのいのちがこの地にもたらされますように!

さて、写真はいずれも地震より少し前の横浜。以前のような美しい夜景が早く戻ることを…。



←我が家の小さな怪獣、ものすごい大食漢…。

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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