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「彼は死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられた」(イザヤ53:12)

candyさんの以前のブログ記事より転載

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ウォッチマン・ニー著、『霊の解放』より

神が私たちを対処し、わたしたちそのものを砕き、霊を解放して、わたしたちが自分の霊を使用することができるようにされるのは、神の法則によるのであって、私たちの祈りによるのではありません。
これはどういう意味でしょうか。

それは、わたしたちの内なる人は、私たちの、砕かれた外なる人を経過して出てくると言うことです。これは一つの法則であって、私たちの祈りはこの法則を左右することは出来ないのです。法則は祈りによって変えられることはありません。

あなたが祈りながら手を火の中に入れたとしても、あなたの手はやはり火傷をまぬがれないでしょう。(奇蹟のことではなく自然のことを言っています) あなたの祈りはその法則を変えることは出来ません。ですから、私たちは神の法則に服従する人になるように学ばなければならないのです。

祈りさえすればそれでよいと考えてはなりません。もし、手を火傷したくなかったら、火の中に入れないことです。祈りながら、手を火の中に入れるものではありません。神が私たちを対処されるのは法則によってです。

内なる人は必ず外なる人を経過して出てこなければならないからです。これは一つの法則です。もしあなたの外なる人が砕かれ、ひかれて粉になっていないなら、あなたの内なる人は出てくることができません。とにかくこれは主の道であって、主は必ずあなたそのものを打ち破らなければならないのです。

そのとき始めて主が出てこられる道が出来るのです。私たちがこの法則に服従しないで、多くの祈りをもってあれもこれもと祝福を求め続けてはなりません。このような祈りは無駄であり、神の法則を変えることは出来ないのです。

霊的働きの道では、神が私たちから出てこられるのでなければなりません。ただ、この道だけが神の用いられる道であります。砕かれていない人からは、福音も、神も解き放たれる方法もないのですまたその人自身にとっても歩むすべがないのです

私たちは神のみ前にひれ伏さなければなりません。どんなに多く祈るよりも、神の法則に服従する方がさらにまさっています。無知のために神の祝福を求め 「神よ、私たちのためにこのようにしてください。あのように働いてください」 と求めることは、神の道はこのように歩むものだということを知った一分間の祈りにも遠く及ばないのです。

このような祈りは無益ですから、それをやめて、神に向かって 「神よ、わたしはあなたのみ前にひれ伏します」と言う方が、さらにまさっています。多くの場合、わたしたちの祝福を求める祈りはみな妨げとなっています。多くのとき、私たちは祝福を切望しますが、かえって神のあわれみを見ることができないようです。

神が光で照らしてくださるように求め、み手の下に服従すること、この法則に服従することを学ばなければなりません。この服従の結果が、私たちの切望する祝福そのものであります。


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「私は心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負ってわたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎがきます。」マタイ11:29 
   
心優しく、へりくだっている=柔和さと謙遜

旧約聖書レビ記2章には、「人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え・・・」と出てくる。

小麦粉は粉々に砕かれた「謙遜」を表し、そして小麦粉が象徴する第二のことは「なめらかさ」=「柔和」ということです。

十字架の対処をうけることは、この小麦粉にあらわされた御子のご性質でそものもである謙遜と柔和さがその人のうちに形造られることである。このことを、神から学んだ人は幸いです。

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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