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神は祭司を死の中に置いて、イスラエル人に一本の路線を持たせ、命の地に至らせられます。祭司は、真っ先に水の中に入っていき、最後に自ら上がってきます。彼らは神の勝利者です。神は、今日、一群れの当時の祭司のような人を捜し出し、彼らにまず水の中に入らせ、すなわち死に進んで入らせ、まず十字架の対処を受けさせ、死の中にとどまらせられます。

教会には、一つの命の路線があります。神はまずわたしたちを死の中において、人に命を得させられるのです。神の勝利者は、神の道を開拓する者です。

祭司たちが何かを成し遂げることができるのではなりません。彼らは契約の箱をかついでいるからです。彼らは必ず契約の箱をかついで、川底にまで至らなければなりません。わたしたちは必ず、キリストを中心とし、キリストを着て、水の中に下らなければなりません。祭司の足は川底に立ち、肩には契約の箱をかつぎ、死の中にとどまっていて、高く揚げるのはキリストでなければなりません。

川底の死の立場は、愉快なものではなく、見栄えのあるものではありません。それは安息ではありません。座っているのでも、横になっているのでもなく、立っているのです。わたしはかんしゃくを起こしながら、キリストを他の人の上に生かすことはできません。わたしが川底に立っていると、他の人たちはヨルダン川を渡っていき、勝利を得るのです死はわたしの上に働き、命は他の人の上に働くのです。わたしが死んで神に服従する時、命が他の人の上に働き、彼らを神に服従させるのです。キリストの死は、彼の命をわたしたちの上に生じさせます。死がなければ命はありません。

川底にいて契約の箱をかついでいるのは、最も苦しいものです。最心の注意と恐れとおののきが必要です。わたしたちの不注意から、聖なる神が彼らを滅ぼされることを恐れます。彼らはここに立っていて、イスラエル人が一人一人、すべて渡っていくのを見守っています。彼らは最後までほおっておかれます。ですから使徒は言います、「神はわたしたち使徒を……最後に出場する者として引き出し……この世のちりのように、人間のくずのようにされている」(Ⅰコリント四・九―十三)

彼は人が福音を信じることを願います。しかし彼らが、自分のように手に鎖をかえられることは願いません(使徒二六・二九)。わたしは名声を得たいのでしょうか? 有名になりたいのでしょうか? 人の同情を得たいのでしょうか? それとも神の教会に命を得させたいのでしょうか? どうかわたしたちが、こう祈ることができますように、「主よ、わたしを死なせてください。そして他の人に命を得させてください」。神ははっきりと、これは決して容易な事ではない、と言われます。しかしこうであってこそ、神の永遠のご計画は成就され得るのです。

川底にいて、神の民が川を渡り終わるのをひたすら待って、はじめて出てくることができます。王国はまだ来ていません。わたしたちは死から出ることができません。しかしついにヨシュアは命じて言います、「ヨルダン川から出てきなさい」(ヨシュア四・十七)。わたしたちの勝利者ヨシュアは、必ずわたしたちを水の中から上がってこさせるでしょう。これは王国が開始される時です。

多くの人は、従順でないのではありません。ただ従順が足りないのです。代価を払わないのではありません。ただ十分でないのです。金を出さないのではなく、出陣しないのではありません。ただ不十分なのです(ルカ十四・二五―三五)。十字架を経過しなければ、ゲッセマネに至ることはできません。十字架の対処を経過しなければ、「御旨が成りますように」と言うことはできません。多くの人は、アブラハムの召しを喜びますが、モリヤの山でささげることを喜びません。

あなたは他の人の安易な生活をうらやみませんか? 神はわたしを川の底にほおっておかれ、彼の勝利者とされます。神はわたしに鎖を帯びさせ、他の人に福音を伝えさせます。死はわたしの上に働き、命が他の人の上に働きます。これこそ唯一の命の運河です。…主の死がまずわたしたちに命を満たします。そうすると、この命が他の人の上に流れていくのです(Ⅱコリント四・十-十二)

神の勝利者の行なうことは、キリストの死の上に立って、人に命を得させることです。聖書の言は、まずわたしたちの上で経験されなければなりませんそうしてこそ、わたしたちは宣べ伝えることができるのです真理の光は、まずわたしたちの上で命とならなければなりませんそうしてはじめて、他の人の上で光となることができるのです。神はまず、一つの真理を彼の勝利者たちに見せ、彼らにこの真理を実証させて、この真理に服従する人を得られます。真理はまず、わたしたちの内側に組織し込まれ、わたしたちの組織の一部分とならなければなりません。…そうでないと、言葉はあっても、実際がありません。

神はまずわたしたちに死を経過させてから、人に命を得させます。わたしたちにまず、苦しみを経過させ、痛みを受けさせなければなりません。そうしてはじめて、人に命を得させることができるのです。神の真理の学びは、まず川の底に立っていなければなりません。教会が良き地に入って勝利を得ることができないのは、ヨルダン川の川底に立っている祭司が不足しているからです。

ヨルダン川の川底に立っている人はすべて、他の人の上に追い求める心を造り出すことができます。もしわたしたちの内側に、一つの真理が最も深く組織し込まれているのでしたら、人を引き付け、真理を探究しにこさせることができます。神の多くの真理は、今日なお人の内側に組織し込まれなければなりません。わたしたちが真理を内側に組織させる時、キリストの身の丈を一インチ成長させるのです。勝利者は上から命を得て、からだに供給します。
(『神の勝利者』、ウォッチマン・ニー著、福音書房、pp.77-81)


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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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