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我が友なる方よ!

会社でのお昼休憩の少し前に、ある姉妹からメールが送られて来ました。ある時期まで、まるでかいがいしい奥さんのように、私の出勤前に、励ましのメールをくれていた姉妹から…。

とても忙しい時期に、私の方でメールの返信をできなくなって、しばらくの間、交わりが途切れがちになっていたのです。それなのに、そんな私の状況などお見通しだと言わんばかりに、姉妹はなぜか時々、私が忘れた頃になると、向こうから嬉しい便りをくれるのでした…。

さて、今日もメールを受け取り、休憩室に行って、疲労した頭で、どう返信したものか考えたのです。私にしては、考えに考えたのです。何しろ、この頃、簡単なことさえ考えられないほど、頭が回らないのですから。それに、すべてを深刻にとらえる私は、色々と余計な気を回し、ためらいが生じるのでした…。

それでも、美しい写真を送ってくれた姉妹に何かを返そうと思い、携帯の中から、故郷の美しい冬景色の写真を送ったのです…。

その時、私の心を占めていた不安と疑いの垣根が崩れ去ったのです。かつて病室にいたある姉妹宛てにメールを送った時のように、遠く離れているのに、瞬時に心がつながったと感じたのです。言葉では言い表せない、私たちの「ひとつ」が再び目の前に現れ、私をそこから隔てていた何かの垣根が崩れ去ったのを感じたのです。

春が戻って来たのです!

私たちの全ての相違点が、温かな愛の中に解消されてゆくのを感じました…。もう怖くはありません。もちろん、私たちはまだまだ互いに不器用で、もし交われない理由を挙げようと思うなら、きりがないほどまでに挙げられるのです…。

けれども、そんな理由も怖くないのです。考えの違いも、信仰の深さの違いも、互いが健康であるか、それとも、病にあるのか、健常者なのか、障害者なのか、どんな好みを持っているのか、楽観主義者なのか、はたまた悲観主義者なのか、ロマンチストなのか、学者肌なのか、能天気なのか、傷つきやすすぎるほどにまで繊細なのか、救われる前はどんな生き方をして来たのか、家族がいるのか、いないのか、互いの生い立ちも、性格の大幅な違いも含めて、あんなにも大きな壁のように思われた私たちの相違点は、もはや主の御前で何ひとつ意味をなさなくなっているという事実を感じたのです…。

誰が何を言おうとも、私たちは主にあって姉妹なのでした。それは誰も動かせない事実だったのです。私にとって、相違は受け入れがたいほどに大きく、その上、とても分かち合うことの出来そうにない苦しみや、一人になりたいという願いが、交わりを拒んでいたのです。しかし、それさえ含めて、何ひとつ、この不思議なつながりに障害になっていなかったことが分かったのです…。

互いを結び付けているそのいのちは、地中深く埋められた種のように、辛抱強く、ただ光が来るのを待ち望んでいました。そのいのちは、あたかも死んだような中にあって、ひっそりと、誰にも気づかれない中で、確かに息づいていたのです。そして光がやって来たとき、それは全く当然のこととして、殻を打ち破り、芽を出し、うーんと伸びをして、自分が確かに生きているその証拠を、子供の手のように可愛らしい、きらきらした緑色の葉っぱによって周囲にはっきりと示したのです。

主は言われるのです、私の愛の中にとどまりなさい、私の力の中にとどまりなさい、私があなたがたに愛する力を与え、私があなたがたに一致を与えるのだと。あなたがそれをするのではなく、私がするのだと。だから私に任せなさい、私が望んであなた方を集めたのだから、私を信じて、すべてを忍んで待ち望みなさいと…。

地中深く眠り、冬を耐え忍んだ一粒の麦の殻は壊され、交わりは芽吹き、目には見えない確かに存在する圧倒的ないのちとして、果てしなく、果てしなく、拡散されていくのです。たとえ死んだように見えても、キリストにあるいのちは、決して絶えることなく、時が来れば、必ず、新しいいのちとして芽生え、やがて実を結び、収穫をさえもたらしてくれるのです…。

ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(ガラテヤ3:28)

時間がある方は、straysheepさんの記事もお読みあそばせ。

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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