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ベック集会を出てから、少しずつ、筆者の生活のありようが変わった。まず、クリスチャンの交わりを求めて、あちらこちらの集会を巡るということを、筆者は全くやめてしまった。

もちろん、アッセンブリーズ教団などには決して戻らないが、ベック集会にも、KFCにも戻らない。日曜礼拝に行かないだけではない、素敵なリビングルームで開かれる大規模家庭集会…、そういうものに全く関心がなくなった。

神は、そういう風に、人の大勢集まる場所におられるのではない。人数がどうあれ、たとえ一人であったとしても、まさに主を信じる者の只中にいて下さるのである。その確信のもと、エクレシアを求めてあちらこちらを移動する代わりに、筆者自身が、可動式の主の幕屋であることを確信するようになった。

そして、信仰に基づいて、筆者自身が、この幕屋の内側から、信仰によって、兄弟姉妹を呼び出す側に回ったのである。

人との交わりを求めて移動することをやめると、一見、以前よりも生活が孤独に陥るように思われるだろう。ところが、交わりを求めて色々なところをさまようことをしない代わりに、ただ本当のクリスチャンだと言える兄弟姉妹とだけ厳選してつき合う方が、結果的に交わりに実りが多いのである。さらに、仕事の仕方も変えた。組織や団体のために自分をとことん差し出し、消費するという生き方をやめてしまったのであった。

ベック集会にいた頃、筆者が専門の仕事に戻れるようにと、兄弟姉妹が祈ってくれた。そして、めでたくある企業で専門知識を活かして仕事を始めたのだが、初めて一週間ほどで、ここは何かがおかしいという実感に至った。毎日、送られて来るメールが百通以上に達し、休日出勤、現場出張が課され、イレギュラーな対応が続く。

政府の下請け企業の一つであったが、社内を最小限の人数で回しているので、一人一人の担当する仕事の量が尋常ではない。しかも、正社員はごくわずかで、残りはすべて派遣社員である。入社してたった一週間で、筆者は気力・体力の限界に達した。現場出張に行っても、疲労困憊状態で、歩くのさえもやっとの状態なのである。さすがにこれは何かがおかしいと思わずにいられなかった。

その仕事を始めてから、筆者が最初に担当させられた中に、海外出張に派遣された通訳の報告書に基づいて、残業代を計算することがあった。ところが、後になって分かるのだが、筆者が計算した残業代は、政府に確かに請求されるものの、通訳の懐には入らず、会社が全てピンハネするのである。しかも、そのことを政府関係者も十分に知っていたほどであった。それほどまでに業界では悪名高く、恐れられていた会社だったのである。

そんなこととは知らずに、せっかく兄弟姉妹の祈りによって得た仕事だからと最初は思っていたのだが、知れば知るほど、その企業の異常さがはっきりするだけであった。さらに、ちょうどベック集会を出たのと同じタイミングで、筆者が二、三日、会社に休みを申し出たところ、会社が契約を打ち切ると言って来た。何しろ、最小限度の人件費で回している会社だったので、入って間もない新人が、たった一日でも、休みを取るなど、許されないのである。たとえ体調不良が原因であっても、会社を休むこと自体が、あるまじき「反逆」であり、言語道断な行為とみなされて、即、クビだと宣告された。全く野蛮そのものであった。

派遣会社が契約の短縮通知を送って来た。要するに、筆者が自分から辞職を願い出たような形にして、残る給与を支払わずに契約を終わりにしようという算段なのである。全くハイエナのような体質の企業であることが、よく理解できたが、そんな馬鹿げた話に筆者が了承するはずもなく、長々とした交渉の末に、ようやく、法的に会社に支払い義務があるものは全て払ってもらう運びになった。

むろん、ベック集会の人々は何の助けにもなるはずもなかった。どうにもこの会社はおかしいのではないかという予感がしたとき、それを兄弟姉妹に打ち明けても、ある姉妹などは、「派遣は社員よりもたくさん仕事を任せられるのは仕方がないし、即戦力になる人しか雇われないのが常識よ。うちの主人も、派遣を使ってるけど、使い物にならない人はすぐにクビにするのよ」などと企業を擁護しながら、自慢話を並べ、末端の従業員が次々とクビにされることを喜ぶ有様だったので、そんな「信者」たちは全く当てにしようとも思わず、筆者は誰にも相談せずに、すべてのことを自分自身で交渉しつつ望ましい結果へ運んだ。

さて、ベック集会を去った当時、筆者は毎年のように正月には故郷に帰省していたが、さすがにその年は、故郷に帰ることがためらわれた。仕事は以上のような有様で、集会の印象も最悪となり、こんなひどい正月は今までになく、誰にこんな有様への理解を求められようかと嘆きながら、年末にKFCを離れていたある姉妹に起きていた事件を告げた。

(この婦人は筆者の母親くらいの年齢で、「兄弟姉妹」という呼び名を嫌っていた。別の記事でも書いた通り、彼女はクリスチャン同士が自分たち信仰者だけを専門用語で「兄弟姉妹」と呼び合うのは、自画自賛のような驕りであり、不信者の排除だと言って嘆いていたのである。だから、もしかしたら、ここで彼女のことを「姉妹」と呼ぶのは、本当はやめておいた方が良いかも知れないが、とりあえず慣習としてそのように記しておく。
 また、この婦人はベック集会のことも予めインターネットで調べ上げて、非常に評判が良くない集会であることを筆者に何度か語っていた。)
 
彼女はいたく心を動かされ、筆者に言った、「あなたはただ聖書だけに立ち戻り、人間の指導者からは一切離れるべき頃合いだと思う。でも、もしその条件に応じて、神様だけに立ち戻る気があるなら、御言葉のバイブル・スタディを開かない? 私は喜んで協力するから、少し待っていて。」と申し出たのである。

全く、神は不思議な方だと思うことしきりであった。「捨てる神あれば拾う神あり」と、世間でも言われるように、ある人々からいわれなく非難されたり、誤解されたりして、突然に、さよならを告げられ、あたかも行き場がなくなったように思われる時でさえ、ちゃんと別の場所には、安全な避難場所を主は用意して下さるのである。

だから、キリスト者はあたかも地上では追い詰められて、迫害され、居場所がないかのように見えて、その実、居場所がなくなることはないのだと言える。我々の席は天に確保されているからである。その天の予約席を地上で発券することによって、常に次の目標を立てるのである。それが可能であることを筆者は今までの人生で、幾度も確認して来た。

この婦人は、こうして、本来ならば、家族で過ごすのが当然であるはずの正月に、自分の夫を置いて、筆者一人だけを伴って、富士山の見える温泉付きの別荘に泊まり込んだ。そして、我々は二人でひたすら聖書を読んで正月を過ごしたのであった。

ただ屋内に閉じこもって聖書だけを読んでいたわけではなく、美味しい食事を取り、散策し、自然を楽しんだ。神の恵みを存分に味わったのである。

だが、その頃の筆者は、今に比べれば、まだまだ繊細で傷つきやすく、感受性が強すぎるため、起きた出来事の印象からすぐに抜け出ることができなかった。そこで、せっかくの素晴らしい雄大な景色を見、温泉に浸かっていても、ベック集会のことを思い出したり、仕事のことを思い出したり、あれやこれやのひどい出来事が心に思い出され、一人涙を流していたりしたものであった。

だが、そんな中でも、この婦人の親切と奉仕心には本当に驚かされたものであった。彼女にはどんな状況にある人をも見下すということが全くなく、若年者だからと軽く扱うということもない。それどころか、まるで主イエスに仕えるように、彼女は筆者に仕えてくれたのである。

彼女の人に仕える姿勢は、前述の長老級の兄弟がしていたように、指導者然と振る舞い、上から目線でどうあるべきかを他者に説教し、心ひそかに他人のないところばかりを数え上げて、見下しながら、うわべだけは同情的に振る舞うという偽善的なものではなく、本当に自分を捨てて人に仕え、尊敬の限りを尽くし、愛を注ぎだしたのである。そして、見返りを求めなかった。自分の親切が人に受け入れられても、受け入れられなくとも、評価されようとも、されなくとも、淡々とと自分が信じることを実行していたのである。

驚いたのは、自分の別荘であるにも関わらず、その婦人が個室にある広々としたダブルベッドを筆者に譲り、自分はリビングの床に寝袋をしいて寝ていたことであった。さらに、筆者はゆっくりと時間を取って温泉を楽しんだが、その婦人は、自分は温泉に行っても、ほとんど時間をかけず、たちまち戻って来るのである。それが筆者との時間をより多く確保するためであることがよく分かった。その婦人は、キリスト者との交わり、神との交わりに対する意気込みと心がけが、筆者がそれまで見て来たどの信者とも明確に異なっていた。常日頃から、彼女はよく一人で別荘にこもって御言葉の学びに専念しており、普段から、神のために自分の利益を脇に置くことを当然としていたのだが、交わりの相手を伴う時には、さらに、自分のためには、何の特権も享受しようとせず、自分の持てるすべてを神の恵みを伝えるために使ったのである。

筆者は、この婦人と親しかったために特別扱いされたわけではなく、巧みに同情を引く話をして心を動かしたわけでもない。身内でもない人間に、そこまで奉仕するのは、筆者から見ても、筆者に対してしているというよりも、むしろ、神に対してしている奉仕であるに違いないと確信できた。「貧しい人に貸すのは主に貸すのだ」、「このいと小さき者にしたのはわたし(神)にしたのである」と聖書に書かれているように、彼女はいと小さき兄弟姉妹に心から仕えることで、その人にというよりも、天におられる神に仕えていたのである。

その正月は、この婦人の人生にとっては、最後の正月となった。むろん、当時はそんなことになるとは誰も知らなかった。筆者はその極めて重要な最期の時間を、彼女からもらったことになる。彼女と過ごしている間に、筆者には次の仕事も決まり、神の采配が常に完全であることを思い知り、そして、二人で共に主を賛美した。

だが、その次に入った会社もまた相当な曲者であった。長時間残業が当然視されていたり、専門家が顎でこき使われていたり、ついには残業代が払われなくなったりと、色々な問題があった。この婦人は、会社にあまり深入りしないように、残業をしないようにとしきりに筆者に忠告していたが、その頃、まだ筆者は、仕事に力を入れようと考えており、彼女の忠告の意味を十分に理解していなかった。そうこうしているうちに、彼女は天国へ旅立って行ったのである。

しかし、主は完全なお方である。彼女の突然の死の前日にも、筆者はまるで偶然のように会社から休憩時間にこの姉妹に電話で連絡していた。

「ゴールデンウイークはどうされますか?」
「あのね、最近、素敵な教会を見つけたから、主人と二人でそこへ行ってみようと思っているのよ。」

彼女はKFCを離れて後、もうどんな集会にも教会にも行かないことを決めて、筆者にもそのようにするよう勧めていたので、その返答にはちょっと驚いた。

「教会ですか?」
「また報告するわね。素敵な教会なの。そうね、あなたと会えるのは、もうちょっとだけ先になるわね・・・」

そんな会話だった。筆者はその時、この婦人も、結局、組織に戻って行くのだろうかと思って内心少しがっかりした。彼女はそうなるまでにいくつもの大規模な組織での信仰生活を経験し、それらをすべて断ち切って、地上の団体に属さない信仰生活を送ることを決めていた。またもや教会員に戻る、そんなことが彼女にできるのだろうか…?と筆者はいぶかしく思った。もし彼女が組織に戻るなら、この姉妹とも別れなくてはならないだろうと思った。

ところが、まさにその最後に訪れた教会が、彼女の葬儀を執り行うことになったのである。

その会話を交わした日の夜、会社でいつものように遅くまで残業しながら、筆者は何かしらどうしようもない体のだるさを感じて、仕方なく応接のソファに横になって休んだ。その翌日の朝になると、もう起き上がれないほどに体調が悪く、仕方がないので、会社に連絡を入れて、午前中は家で休んでいた。(その会社では、少なくとも、たった一日の休みでクビを言い渡されることはなかった。だが、筆者はそれでもその日の夕方には出勤して行った。)

すると、朝、家へ突然、電話がかかって来た。受話器を取ると、全く知らない声で、上記の婦人の夫だと名乗る。

「家内が亡くなったので…」

何を言われているのか全く理解できず、耳を疑うだけであった。姉妹の葬儀の日程の連絡だったのである。しかも、筆者はこの婦人の夫とはこの時まで全く面識がなく、この婦人とも、親しく交わるようになったのは、ごくごく最近のことであって、筆者は彼女を除いてこの一家とは、全く知り合いではなかった。

それなのに、彼女の夫が、彼女の死後、一体どのようにして、筆者の存在を思い出し、連絡先を確かめて、コンタクトを取って来たのか、極めて不思議であった。それでも、上記の姉妹が亡くなったことをこのような形で知らされたことも、主の采配であった。筆者がこの間、訳の分からぬ体調不良に見舞われていたことも、まるで知らないうちに彼女の苦しみを共に味わっていたかのようで、キリストの御身体の一致を思わされるのであった。

こうして、彼女が最後に訪れた教会が、不思議な縁で、彼女の葬儀を執り行うことになった。彼女が生前、最後の日々にその教会を訪れたのは偶然ではなく、それは教会員に戻るためではなく、ただ目に見えない霊的な準備だったのだと思われてならない。(その教会は、葬儀をきっかけに無理やり彼女を教会員にしたてあげたり、残された夫に熱心に働きかけて団体に取り込もうとしたりするようなところではなかった。葬儀で配られた式次第にも、教会の名前も連絡先も全く記されておらず、宣伝とみなされるような記載は何一つなかった。)

筆者は葬儀に参列したが、あまりのことに、我を失っていたためか、記帳の際に自分の住所を書き間違え、さらに親族だけが伴うのが当然であるはずの火葬場へのバスに、筆者も一緒に乗り込んでしまった。が、ゴールデンウィーク中で道路が渋滞しているため、いつまで経っても、バスは目的地に着く気配がない。そうこうしているうちに、この婦人が生前、筆者を案内してくれ、共に楽しんだ鎌倉の観光地の風景が思いがけなく窓の外に見えて来た。二人で一緒に土産物を買った店などが窓の向こうに並んでいる。運よく、バスの乗客の一人が渋滞にたまりかねて、子供のトイレ休憩のためにと、バスを降りた。続いて、筆者も降りた。本当は、土産物屋で買い物をした後、すぐにまたバスに戻って来るつもりだったのだが、それきりバスを見失い、もう追いかけることはできなかった。

晴れやかな日で、いつものように、湘南の海がとてもきれいに輝いていた。筆者は結局、婦人と歩いた思い出の道を一つ一つ辿って、そのまま帰宅したのであった。火葬場へなど行かなくて良い、それよりも、神が作られたこの世界の美しさを楽しみ、神を誉めたたえる方が、多分、この婦人の意にかなっているに違いない。

長い間、筆者はこの婦人の死に大きな喪失感を覚えていたが、今は以前のようには嘆いていない。神の采配はすべてにおいて完全である。

その後、婦人の夫と何度か話すうちに、生前、この姉妹は懸命に夫の救いのために祈っていたが、夫はすでに信者であって、幼い頃に、ミッション系の学校に通い、洗礼名も与えられていたことが分かった。病気がちな主人を一人残していくことだけが、彼女の気がかりだったのだと思うが、その悩みも、多分、必要ないものだったのではないかと思う。神は完全である。

今でも、「次に会えるのは、ちょっと先になるわね」、と言った彼女の最後の言葉を思い出す。

そうなのだ。彼女の言う通り、それはほんのちょっとだけ先、あと少しだけ先のことだ。筆者が天に召されてから、彼女とまみえるのである。だが、それはそんなにも遠い未来のことではない。

今は、天での休息のひと時に憧れるよりも、まだこの地上において、果たすべきミッションがある。それは主と共に、この地を、自分の人生を、自分自身を統治することである。信仰だけによって、どれほどのことが可能であるのか、筆者は少しばかり知っただけで、まだ十分に知り尽くしたとは言えない。このような状態では、天でキリストの御前に立たされても、まだ誉められることがないので、まだ天に行くわけにはいかないのだ。

義人は信仰によって生きる、そのことを生きて証明しなければならない。たとえこの地上にブラック企業が溢れ、経済はますます悪化し、人々の心は残酷、険悪になり、兄弟姉妹と呼ばれる人々でさえ、互いに蔑み合い、裏切り合い、騙し合うようになったとしても、神の御心の正しさは、寸分たりとも、変わることはない。聖書の御言葉はいつまでも変わらない。

人間を助けることのできる方は、神だけなのである。どんなに素晴らしく見える兄弟姉妹との交わりも、永遠ではない。だから、筆者は、神のみに信頼を置いて、聖書の御言葉に立脚して、筆者は神の愛と憐れみの深さを、実体として地上に引き下ろす。その実験はこれからもずっと続く。それがキリスト者の本業である。御国の働き人としての仕事が終わりに近づき、天に召される日が近づいて来れば、主は必ず、筆者にそのことを知らせてくれるはずである。

 
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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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