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愛する我が友よ!

我が友よ、我が隣人よ、元気でいるでしょうか? 仕事がとても忙しい時期に入りました。

私たちの人生には、毎日、毎日、どれほどたくさんの主の御助けがなければ乗り越えられない出来事が起こるでしょうか? けれども、私たちが悲しんでいても、落ち込んでいても、疲れていても、主は私たちにキリストを通して、いつも最大の朗報を届けてくださいます。

エクレシアを通じて、時にかなって与えられる慰めも、素晴らしいものであり、友よ、あなたがどんなに私を勇気付けてくれているか分かりません。けれども、キリストが私たちのためにいつでも用意して下さっている恵みは、それよりももっと深く、大きく、素晴らしいのです。

私たちキリスト者は、主と、それから、サタン(告発する者)の前で、何を持って自分を弁護すれば良いのでしょうか? 預言者イザヤを告発したサタンは、今日も熱心に私たちのところにやって来て、私たちの色々な心の状態、生活の状態をあげつらっては、それがいかに主の御心から離れているかをしきりに強調しているかも知れません。

もしも私たちが自分を見るなら、そこには何も善良なものは見出せないのです。人生問題の数々はどうでしょう、心の状態はどうでしょう、人前で取った態度はどうでしょう。心の中の思いはどうでしょう?

けれども、ハレルヤ! 我が隣人よ、私たちはそのような告発の声に耳を傾けずとも良いのです。なぜなら、私たちは自分自身や、自分のいかなる状態、いかなる功績を持っても、主の御前に立ちおおせないことをすでに知っているからです。

ですから、全ての告発に対する私たちの応えは、ただ、キリストの十字架なのです。(もろもろの罪に対しては血潮で応えますが、私たちの古き人に対しては、十字架をもって応答するのです。)キリストの十字架における死が、私たちの死であり、キリストのよみがえりが、私たちのよみがえりであること、その事実に立ち、死んでよみがえられたキリストご自身(キリストのパースン)をもって応答していただくのです。

私たちは自分自身の義が何の役にも立たない、腐敗したものであることを知っています。世間はもしかして間違って賞賛してくれるかも知れないような私たちの長所も、主の御前では、全く無価値であることを知っています。良いものであっても、悪いものであっても、私たち自身から出た全てのもの、全ての功績が、主の御前に完全に無意味であることを知っています…。

ですから、私たちはすべての告発に対してただキリストだけを持って応えるのです。私たちの全ての罪を完済されたキリストの贖いを持って応えるのです。死に至るまでご自分を低くして、神に従われたキリストの従順を持って応えるのです。キリストの聖さ、キリストの愛、キリストの寛容、キリストの憐れみ、キリストの慈しみ、キリストの全てのご性質を持って応えるのです。

どうしてそんなことができるのですかって? 私たちはこんなにキリストからかけ離れているのに、キリストの性質を持って応えるなんて、そんなのはずるいのではありませんか?とおっしゃる人もいるかも知れません。いいえ、信じてください、友よ、それが神が御子を通して、私たちにお与えくださった最大の愛の贈り物ものなのです。

私たちが主とともに自分が十字架につけられて死んだことを信じるならば、主はその死が実際であることを見せてくださり、私たちの死の上に、新しい人であるキリストを着せて下さるのです。

ただ、そのためには、私たちはへりくだって自分の無力を上から知らせていただく必要があります。キリストなしでは、どれほど何もできない者であるか、生まれながらの私たちがどれほど無価値な死んだ者であるかを…。そして、毎瞬、毎瞬、新しいいのちであられるキリストを求め、このお方のうちに隠れ、このお方によって生かしていただくよう本気で求めたいのです。

私たちがただ口先だけで主について語っているうちは、つまり、口で言うのとは裏腹に、まだ心の中で、しっかりと自己の義に安住して、「私はデキル」と思っているうちは、主はあまり働かれる余地がないかも知れません。ダビデが詩篇の中で、率直に自分の弱さや、悲しみや、思い煩い、苦しみ、愚かさ、追いつめられた状況、などを認めて、主に呼ばわったように、私たちも命がけで主の懐に飛び込みたいのです。

友よ、もしも弱さの中を通らされることがあるとしたら、その恵みは、ただこの点にこそあるのです。何と素晴らしいことでしょう、主の御前に弱くされるとは。何と愛されていることでしょう、御前に低くされるとは…。どれほど人がその弱さを笑い、もしくは罪定めするとしても、キリストなしでは暮らしていけない、キリストのうちに隠されるのでなくては生きていけないというところを通らされることは、神の憐れみなのです…。

「すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しい人を着るべきである。」(エペソ4:22-24)

あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。 」(ローマ13:14)

「神、その道は完全。
 主のみことばは純粋。
 主はすべて彼に身を避ける者の盾。

 まことに、主のほかにだれが神であろうか。
 私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。
 この神こそ、私に力を帯びさせて
 私の道を完全にされる。

 彼は私の足を雌鹿のようにし、
 私を高い所に立たせてくださる。
 戦いのために私の手を鍛え、
 私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。」(詩篇18:30-34 新改訳)

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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