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先の記事で何度もアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の現役信徒であったBr.Takaこと鵜川貴範・直子夫妻が、身元を隠してKFCに入り、メッセンジャーとなり、Dr.Lukeと共に気に入らない信徒を中傷し、悪魔扱いして追放して来たことを述べた。 

Dr.Lukeはその後Taka氏に裏切られ、KFCはTaka氏の策略により何年もそれまで維持して来た会堂契約を失うに至った。さらに、Br.Taka氏がKFCから気に入らない信徒を中傷し、追放するにあたっては、名古屋のAG信徒(candy氏)、天声教会のメッセンジャーもこれに加勢したことを述べた。

こうした事件がまさか偶然に起きたものだとは、私は思っていない。むろん、このような信徒は早期に「兄弟姉妹」でないとみなすべきであった。そうしていれば、KFCももう少し被害を防げたかも知れない。

だが、今はKFCのことは脇に置いて、いずれにしても、これらの出来事の背景に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団と密接な関係がある信徒らを存分に利用して、独自の目的を遂げようとした集団が確かに存在していたことは、ほとんど疑いの余地がないように思われる。

そもそもアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、私が最初のブログ「光の天使の罠」において同教団京都教会の牧師村上密が率いるカルト被害者救済活動を危険なものとして分析・批判してから、現在に至るまで、何年間も、あらゆる方法で私に嫌がらせを繰り返して来た。

中でも最たる嫌がらせの例は、現在すでにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もないはずの(カトリック信者と言われる)杉本徳久氏の個人ブログ「随想 吉祥寺の森から」を通して行われた私への誹謗中傷であった。

これについては幾度も反論記事を記して来た通りであるが、名誉棄損の可能性が極めて高い内容であり、相応の対処が必要であると考えている。

さて、直接の面識が全くない杉本氏がこのような私に対する一連の誹謗の記事を掲載するに至った背景には、当然ながら、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団村上密氏の強い影響があった。

杉本氏は村上密氏のカルト被害者救済活動を支持している旨を自身のブログで明確に述べており、村上サイドの活動を擁護・防衛するために、私への弾劾記事を自身のブログに載せたのである。

そして、村上氏の方でも、教会のカルト化問題を扱うにあたり、彼が疑わしい(カルト化の疑いがある)とみなした多くの教会や牧師に対して、自身のブログを用いて批判するだけでなく、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もない一個人である杉本氏のブログを積極的に活用して、批判弾劾記事を掲載させて来た事実は、ここであえて述べなくとも世間によく知られている事実である。

私は当初から、村上密氏の率いるカルト被害者救済活動なるものは、ただ単に村上氏の個人の意志で始まったものであって、公に教団から認可を受けたものでなく、ましてプロテスタント教界全体においては何の権限も付与されておらず、それなのに、彼があたかもプロテスタントの教界全体を取り締まる資格を持っているかのように、自ら「危険」とみなした教会について、次々と信徒から情報収集をしては、その教会の牧師の頭越しに「被害者」からの証言を集め、これを基に他教会の人事に介入し、「疑わしい」教会に裁判をしかけて、教会を消滅に追い込んだり、あるいはブランチとして自分の教会に併合したりすることは、極めて大きな危険であることを指摘して来た。

このように、カルト被害者救済活動は、被害者を救済するという美名を口実に、実際には正当な権限を持たず、誰からもきちんと承認を受けていない一個人に過ぎない牧師が、ただ自らの正義感だけに基づいて、全プロテスタント教界の内情に介入してこれを取り締まろうとするものであるから、これは個人である牧師がプロテスタント教界全体に君臨しようとすることに等しく、極めて危険な試みであり、プロテスタントでそれまで守られて来た教会の自治にもそぐわず、むしろ、教会の自治の破壊に他ならないことを指摘して来た。

さらに、村上密氏は公の裁判やきちんとした法的手続きを通さずに、杉本氏のような個人ブログを利用して、事実確認もできていないうちに、疑わしいとみなした牧師や教会や信徒に対して次々と弾劾記事を掲載しては、「風評」(実際にはそのほとんどが中傷)を流布して行ったわけであるから、これがどれほどの危険を伴う、クリスチャンにあるまじき非聖書的な行為であるかは明白であった。

結局、村上密牧師の率いるカルト被害者救済活動とは、実際には、被害者の救済という美名を隠れ蓑としただけの村上密個人による異端審問であり、そうである以上、この活動は必ず暴走し、村上密氏やその支持者にとって不都合な言説を行なうすべての信者に異端者の疑いがかけられることになるのは必然であり、魔女狩りのような様相を帯びることは避けられないと警告して来たのである。

そして、実際にその通りになった。その一例として、彼らは、彼らの活動を批判する私に対して幾度も誹謗記事を掲載して来たのみならず、支持者を利用して他にもさまざまな方法で嫌がらせを繰り返してきた。杉本氏は自分のブログを使って、私のブログに対してひどいバッシングを行なったが、そのほかにも、私のブログには、長きに渡って読者を装った人々から嫌がらせが繰り返されて来たことは「さわやか読者賞」に記載した通りである。

しかも、そのような嫌がらせを行なう読者の多くは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信者であったり、あるいは村上密氏の活動の支持者であったりと、村上サイドと密接な関係がある者がほとんどであったことが分かっている。

そこで、このようなことを背景として見るならば、KFCで他ならぬアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の信徒であったBr.Takaが引き起こした事件が、単なる偶然であったと考えるのは、あまりにも浅はかすぎるだろう。

長い間、村上密氏と杉本氏は私のみならず、KFCやDr.Lukeにも敵対感情を寄せていた。そのことは、彼らの記事内容から明白である。そこで、Br.Takaのようなアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団信徒が身元を隠してKFCに潜入し、そこで分裂騒ぎを引き起こし、他ならぬアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団で行われているカルト被害者救済活動を支持しない信徒に次々異端の濡れ衣を着せて駆逐したことは、全く村上密氏や杉本氏の利益にかなったことであり、これを偶然としてとらえるには話が出来すぎている。

これまでにも、村上氏はさまざまな方法を駆使して、公にならない暗闇の密室において、自らが疑わしい(あるいは不都合)とみなした他教会の内政に干渉して来たことが指摘されている。ブログ「随想 吉祥寺の森」のコメント者を含め、独自のネットワークを利用して、彼らは他教会の信徒に接近して巧みに情報収集し、他教会の弱点や信徒の不満を探り出し、「被害」が発生しているとの証言をさせて、これを基に、他教会の人事に介入し、教会内秩序を転覆させるような活動を繰り広げて来たのである。

そうした活動の多くが、教団の規則などの公の手続きに則らずに、教会の牧師や信徒の頭越しに、信徒からの密告などに基づいて行われた。さらに、公の手続きに則り起こした裁判でさえ、村上サイドはきちんとした証拠を挙げられないまま、敗北している事実がある。

このことは、彼らがきちんとした証拠に基づかず、私刑としか言えないような方法で、不都合な教会や信徒に制裁を加えて来たことを意味する。そのような危険な活動を暗闇で繰り広げる牧師が、KFCにだけは手を出さなかったと考えるのは、いささか子供じみた発想だと言えるだろう。そこで、他ならぬBr.Takaのような人物がKFCにやって来たのは、明確な目的を持った上での接近であったと考えるのが妥当である。

さて、村上密牧師サイドが、ネトウヨ的なクリスチャン読者を使って幾度にも渡り、私を恫喝して黙らせようとしてきた目的の最たる理由の一つが、鳴尾教会問題にあったと見られる。

(鳴尾教会とは、当時の鳴尾純福音教会、現在の鳴尾キリスト福音教会である。)

彼らはただ私が彼らの活動に賛成しなかったことが気に食わず嫌がらせを繰り返しただけではなく、私が鳴尾教会の事件の目撃者・証言者であればこそ、不都合な事実を公表されないために、私を執拗に恫喝して沈黙に追い込もうとして来たのだと考えられる。

村上密氏が鳴尾教会の問題にどれほど固執しているかは、彼が繰り返し裁判で敗北しながらも、未だにブログ等でこの問題を持ち出しては鳴尾教会サイドを批判するのをやめない態度にもよく表れている。

おそらく、鳴尾問題は、村上氏にとって致命的なアキレス腱なのであろう。裁判で敗北が確定しても、彼の中ではこの問題がなお終わりを告げていないのである。それはただネット上で虚偽の情報を流布して裁判に敗北した事実を隠し、偽りの覇権を握り続けたいというだけの動機からではない。

村上氏はそういった動機を超えたもっと深いこだわりをこの教会に対して持っているように見受けられる。つきつめて考えて行くと、やはり、村上密牧師の出世のルーツがこの教会にあるためと考えられないこともない。
 
よほど村上氏は津村氏を擁護したい(あるいは、津村氏に心を支配されているために彼をかばおうとする)のだろうと思われてならない。なぜなら、そうでなければ、こんなに年月が経っても津村氏の不祥事が公になることを恐れる理由がないからだ。

鳴尾教会が混乱状態に陥ったのは、村上氏が主張しているように、現在の牧師夫妻のせいではない。すべての原因は、鳴尾教会の以前の牧師であった津村昭二郎氏の不祥事問題にある。そして、津村氏は村上氏の義理の父である。私はかつてブログで、この不祥事問題を記した教団文書を取り上げた。(次回の記事でも再度取り上げる。)おそらくは、この不祥事こそ、村上サイドが最も明るみに出したくないものだと考えられる。なぜなら、それが公になると、鳴尾問題のすべての原因が、津村昭二郎牧師の牧会の至らなさにあったことが明らかになってしまうからである。
 
もし津村氏の後ろ盾がなければ、村上密氏がアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団でこれほど急速に勢力を拡大することはなかっただろう。なぜなら、当初、彼は単に統一教会を脱会しただけのクリスチャン歴のほとんどない信徒に過ぎず、さらにはカルトについても専門教育を受けたわけでなかったからである。もし彼が津村氏の娘である恵子氏との婚姻によって、教団で相当に権威とみなされていた津村氏の後ろ盾を得ていなければ、彼がどんなにカルトの専門家として名乗り出たとしても、周りの牧師や信徒がそれに耳を貸したかどうかは分からない。

同教団では、100人を超える教会を形成することはかなりの功績とみなされる。四十年間、鳴尾教会を牧会し、100人以上の教会に成長させたことは、教団では津村氏の手柄とみなされていた。 
 
ところが、鳴尾では、その津村氏の不祥事が問題にされて彼は辞職に至った。その際、この事件の顛末が信徒に公表されたが、津村氏の責任問題は、結局、曖昧なままに幕引きがはかられた。そこには、この事件が公になると、一番、困る村上氏が教団に積極的に働きかけて事件をうやむやなまま終わらせようとした影響力が見られる。

そもそも、津村氏の不祥事にまつわるこの一連の事件には常に村上氏の影が付きまとっていた。配布された文書からは、村上氏が当時からあの手この手で教団内人事(他教会の内政)に積極的に干渉していた様子が見て取れるのである。当時の村上氏の若さを考えると、彼が教団内でそんな権力を持っていたことは、極めて異常な事態であり、当時から彼が津村氏の威光を積極的に利用して、教団内の人事を思うがままに動かそうとしていた様子が見て取れる。

村上氏は義理の父をかばい、教団内で不名誉な失脚をさせないために、鳴尾教会での事件をうやむやなまま、津村氏の辞職によって幕引きを図ろうとしたが、そのことがきっかけとなって、鳴尾教会の信徒は教団の不透明・不誠実な対応にいたく幻滅・失望した。長年、指導者と仰いで来た津村牧師に信頼を裏切られ、また、次期牧師と期待を寄せていた若い伝道師夫妻をも失い、教団からも何ら誠実な回答を得られないまま、鳴尾の信徒は指導者をみな失ったのである。

このようにして混乱に投げ出されたことが鳴尾問題の始まりであり、その後も、教団に失望した鳴尾信徒の離散はやまなかった。

しかし、村上氏は鳴尾教会のこうした事情には見向きもせず、その後も、津村氏が面目を失わないで済むように自らの牧会する京都教会に引き取り、何事もなかったかのように活動を続行させた。こうしたことは全て、村上密自身のため、彼の保身のため、村上氏が津村氏の後ろ盾を失って、教団内の地位を失わないために行われたことだと理解される。 
 
こうした事件がきっかけとなって、当然ながら、鳴尾教会はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団にひどく不信感を抱くようになった。教団は津村牧師の面子を潰さないために、責任の所在を明らかにすることなく、事件をうやむやにし、混乱の中に鳴尾を放置したからである。

その後、現在の山田牧師夫妻が赴任すると、今度は、村上密氏は、すべてのゴタゴタの原因を山田夫妻に押しつけてしまった。鳴尾信徒が減少を続けたのも、津村氏の事件がきっかけなのではなくて、山田夫妻の牧会がまずかったせいで起きたことであるかのように見せかけて責任転嫁したのである。

その責任転嫁を正当化するために、村上密氏は山田夫妻、特に牧師であった山田夫人に異端の嫌疑をかけて、魔女のようなイメージを作り上げた。(彼らは私に対しても、「随想 吉祥寺の森」の記事等を通して同じような悪人のイメージ作りを行ない、また、次の記事で述べるように、鳴尾教会にかつて赴任した伝道師の夫人にも同様に嫌疑をかけて、異端者のイメージを作り上げていた。そうしたことから、特に御言葉を宣べ伝える知的な女性に対する憎しみと、彼女らに異端者の濡れ衣を着せた上での排斥は、彼らの常套手段であったことが分かる。まさに「魔女狩り」である。)そして、あたかも夫妻が異端の影響を受けているために牧会が失敗して教会が混乱に陥っているかのようなイメージを作り上げようとした。しかも、そのイメージ作りのために、上記したアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団とは何の関係もない(カトリック信者と思われる)個人ブログ「随想 吉祥寺の森」を利用して、そこに山田夫妻に関するでっちあげの異端スキャンダル記事を掲載させて、風評を広めて行ったのである。

このような教団の対応に不信感を募らせ、幻滅し続けていた鳴尾教会は、ついにアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団からの離脱を決定したが、これに対して憤った村上密氏は、文化庁に異議申し立てを行なったり、鳴尾教会に恫喝裁判をしかけたりして、正当な離脱を「乗っ取り」と主張し、まるでこの教会を消滅に追い込むことを目的とするかのような激しい嫌がらせを繰り返した。

たとえこのようなケースでなくとも、キリストの福音を宣べ伝えることを主たる目的とする教会が、裁判などしかけられた日には、どれほど伝道活動の妨げとなり、牧師も信徒も戦うことに疲れ、信仰生活が危機にさらされるか分からない。それでも、村上氏は、福音を優先して裁判を控えることをせず、さらには自らしかけた裁判が原因で引き起こされた可能性が極めて高い鳴尾の信徒の減少をも、相変わらず一方的に山田夫妻の責任に転嫁しては夫妻と教会を非難し嘲笑し続けた。まるで本心から教会が消滅することを願っているとしか思えない行動である。

このような村上氏の行為からは、彼の保身と、私怨の深さは感じられても、キリストの福音を宣べ伝えて、魂の救いを第一に願う牧師としての心が完全にかけていることを感じざるを得ない。何よりも、同胞であり、同じ教団の仲間であった教会や牧師を訴える彼の行動は、到底、クリスチャンとしての愛から出て来たものであるとは思えず、むしろ、「兄弟たちの告発者」である悪魔の憎しみを想起させるものである。

そして結局、教団からの離脱を決めた鳴尾教会サイドに対する村上氏による文化庁への異議申し立ても裁判も、すべては敗北に終わった。それを通して、村上サイドの主張には何らの確かな証拠もなく、むしろ、言いがかりに過ぎなかったことが明らかになった。むろん、彼が山田夫妻について主張していた異端の疑惑も、教団内でさえ認められなかったのである。

村上氏のこうした一連の行動から分かるのは、たとえ負けると分かっていても、結論を先送りするためにとにかく恫喝裁判をしかける、たとえ疑惑が証明できないと分かっていても、まずデマをまき散らすことによって、政敵とした相手の疑わしいイメージを作り上げる。まずデマを流布して、政敵の印象を貶めておいてから、次に具体的な手続きに入り、事件が長期化して事実が明らかになるころには、自分が流布したデマなどなかったかのように知らぬふりを決め込む、という極めて悪意に満ちた無責任な態度である。

たとえ村上サイドが裁判で敗北したとしても、裁判をしかけられただけで教会はダメージを受ける。そのようにして村上サイドは、裁判に勝つことを目的としているのではなく、可能な限り永久に政敵とみなした相手に精神的ダメージを与えるためだけに、因縁をつけ、絡み続けているのだと見受けられる。苦痛を与えることが目的なのであって、正義を打ち立てることなど全く眼中にはないのである。ただ彼の保身と、責任転嫁と、自分に盾突く人間を苦しめるためだけにすべては行われているのが明らかである。いかに彼が不誠実で冷酷な人間であるかが、そのことからよく分かるのである。さらに、それらの行為は信徒らの信仰生活を著しく妨害する行為であるが、牧師を名乗っている人物がそれを行なうことの恐ろしさは誰の目にも明白である。

にも関わらず、教団はこうした顛末をきちんと見据えた上で、本当に村上氏の主張が正しかったのかどうかを検証することなく、山田夫妻を除名することによって、村上氏をかばった。結局、津村氏の時と同じことが繰り返されたのである。

このようなアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の不誠実かつ心無い真実性に欠ける対応によって、鳴尾教会がどれほど深いダメージを受けたか分からない。それでも、今になっても、村上サイドはこの教会への非難をやめない。

私から見ると、もし普通の牧師であれば、たとえ誰が悪かったのかという問題を脇に置いたとしても、自分の義理の父が牧会していた時に起きた事件が原因となって混乱している教会に赴任する牧師には、申し訳ない、頑張ってほしいという応援の気持ちを持つのが当然であろうと思う。

ところが、村上氏には、津村氏の不祥事を隠したいという気持ちしかなく、混乱を収拾するために尽力させられている鳴尾の後任牧師に対するねぎらいの気持ちは皆無なのである。

そもそも教会が続いただけまだましだっただろう。それまでの経緯を見れば、教団に不信感を持たれても、それは仕方がない。とにかく存続しただけ良かったのである。教団に残るか抜けるかは、教会が自主的に決定することであり、部外者には誰にも止められることではない。ところが、かろうじて続いたその教会が、教団を離脱することを決めると、今度は裁判によって消滅に追い込むことを目的とするかのような行為に及ぶわけであるから、村上氏がどれほど同業者の牧師に対して冷酷で、心無く、ただ己のプライドしか考えない自己保身的な人間であるかは、あらゆる人の目に明白である。

繰り返すが、津村事件が尾を引いたため、鳴尾の多くの信徒は傷ついたまま離散したのであり、この私も、津村氏の事件がなければ他教会へ行く必要もなく、村上氏のいる宗教トラブルセンターに出向く必要もなかったであろう。そして宗教トラブルセンターは私に対して何の解決も提示しなかった。それは鳴尾に残った信徒に対する村上氏の心無さと全く同じ対応である。
 
津村氏の事件は、実に多くの鳴尾信徒の運命を狂わせた。だが、村上氏はそんなことは微塵も認めず、未だに鳴尾教会に嫌がらせを続けているだけでなく、私についても今に至るまで「吉祥寺の森」の読者等を存分に利用して、執拗に悪影響を及ぼそうと企てている。鳴尾教会で津村氏の不祥事が明るみに出されてから今年で十四年目である。どれほどすさまじい執念で彼が敵対者を追い続けているか、この歳月からもよく分かるだろう。
 
そこから当然、彼は自分の教会やブランチから離反したカルト被害者や、信徒たちにも、同じ冷酷な対応を繰り返しているのだろうと想像できる。自分の傘下から出て行く人間に対しては、恐ろしく冷酷であり、その後の人生の解放を願って祝福するどころか、生涯に渡って追跡し、嫌がらせを続けて、人生の足を引っ張り続ける、執念のような憎しみが感じられる。

村上密氏は、津村氏が原因で起きた鳴尾教会の信徒の減少について、あたかも山田夫妻が信徒の心を十分に顧みなかったかのように主張して非難しているが、そのようにして他教会の信徒の減少を牧師の牧会の不備として責めるなら、一体、自分の教会のブランチの信徒の離反やカルト被害者の離反に対して、神と人との前でどう言い訳するつもりなのだろうか。
 
村上氏の一連の態度から分かるのは、彼は自分の責任というものを一切認めず、自分に都合の悪い事実は全て他人の責任に転嫁し、他人を悪し様にけなしながら我が身をかばい、自分だけは決して間違わず、正しいかのように主張して、正義の仮面をかぶり、自己正当化を続けているということである。

そのようにして自分の見せかけの正しさを主張するためならば、たとえ自分のもとに身を寄せたカルト被害者であっても名誉を辱め、自分に敵対する人間にはどんな汚名を着せて人生を妨害しても平気なのである。そのようにまで己の立身出世と保身しか念頭になくなった冷酷無慈悲な性格は、牧師として到底、あるまじきものであり、クリスチャンに相応しいものとも思えないが、こうした評判は、すでにカルト被害者の間でも周知の事実となっている。

にも関わらず、沖縄などでも、村上氏と一緒になって活動している新垣氏などが、被害者からの批判や反対をすべて抑え込んでおり、被害者は沈黙を強いられているということも、すでによく知られている事実である。私に対して村上サイドが仕かけて来た嫌がらせと恫喝の手法を見れば、他のカルト被害者たちが何をされているかも容易に想像がつくのである。
 
アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団は、村上密氏は果たして何者なのかという問題をよく考えるべきであろう。そもそも、彼は本当にクリスチャンなのか。キリストの福音を宣べ伝えることを目的とする牧師と言えるのか。彼は一体、何を目的に牧師として活動し、教団に入り込んだのか。なぜ教団からますます正義が失われ、信用が失われ、より多くの信者がこの教団に失望幻滅して離れ去るような方向で動いているのか。

宗教は政界とは異なる。他人のトラブルを飯の種として、政略結婚によって出世の階段を駆け上がって行くことが可能なほど甘い世界ではない。政界ならば立身出世のために何をしても法にさえ触れなければ許されるかも知れないが、聖書の御言葉に従わない牧者には、神から厳しい裁きがあることは聖書に警告されている。何よりも、村上氏自身が、偽預言者に対して厳しい警告を発しているのであるから、それを自身に当てはめるのは当然だろう。

神の御名を利用して生計を立てていながら、同業者を告発することを生業とし、身内には甘く、気に入らない同業者や他教会は容赦なく訴えて、裁判により潰し、併合する。自分のもとへ一度でも身を寄せた信徒であっても、反対者となれば容赦なく非難し、人生の立ち直りを妨害する。そんな村上氏の態度には、到底、キリストの愛もなければ、クリスチャンとしての高潔さもなく、信仰も見られず、とてもではないが、牧師に相応しい態度だとは言えない。強欲な牧師、他人の教会まで潰し、乗っ取ろうとしている牧師とは一体、誰のことだろうか。

何よりも、牧師という職業は、キリストの福音を宣べ伝えることを第一とするものであって、異端の取り締まりが第一になっている時点で、すでに異常なのである。

最近、起きた神社の油まき事件にしても、これをきっかけに村上密氏はメディアに注目されたが、彼は危険な行為に従事している同業者を立ち直らせるために、牧師として説得することを第一とするのでなく、むしろ同業者を警察に売り渡し有罪に追い込むことで自らの手柄としようとした。そんな牧師がキリスト教界で好意的に受け入れられるはずがないのは明白である。

己の不祥事はすべてうやむやにしてごまかし、同業者のトラブルと失敗だけは厳しく責め立てて暴露し、自分をかばうためならば、仲間の存在しないトラブルさえもでっちあげて他者の信仰生活を妨害する。教会を潰し、信徒を減少に追い込み、信仰生活を妨げて、それを糧に有名になり、専門家として名を挙げる。それが牧師の取るべき態度なのか、まともな牧師活動と言えるのかどうか、そこからもう一度、考えてみる必要があろう。

村上密氏がこれまでクリスチャンの間で煽り続けて来た対立、憎しみ、争い、何よりも教会の破壊、これには必ず厳しい報いが伴い、神がお答えになると私は思う。信徒を神のみもとへ導かず、魂の救済を第一とせず、ひたすら人間的な対立を煽っては、争いを糧に利益を得て来た村上氏に、果たして信仰はあるのか。クリスチャンは、まずこの人物が本当にキリスト者と言えるのか、クリスチャンの仲間と言えるのか、そこからきちんと再考する必要があるように思う。
 
私は物心ついた頃から、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を知っており、当時から、この教団には疑わしい非聖書的・異端的な教えが流入していたが、それにしても、当時はここまでひどくはなかった。村上密氏の登場以前には、教団を離脱した信徒や教会に対して、教団が徹底的に嫌がらせを続けて信仰生活を妨害し、長年に渡る裁判にまで及んで離脱を阻止したり、移って行った先の教会の信徒にまで接近して嫌がらせを続けたなどの話は聞いたことがない。

その当時、たとえアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を批判して出て行く信徒がいたとしても、反対者に対してこれほど執拗な陰謀工作を暗闇で多年にわたって巡らすような指導者は誰一人としていなかった。(当時から、教団を批判して去る信徒たちはかなりいたし、この教団はペンテコステ派に属さない他の教団からも常に批判を向けられていたので、批判や反対は日常茶飯事であり、誰もそのようなことに特別に目くじらを立てたることはなかった。まして報復するなど論外であった。)

脱会者に対する言語を絶する壮絶な嫌がらせは、統一教会や、創価学会などの新興宗教にはおなじみの手法であっても、プロテスタントのキリスト教界にはなじみがない。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団以外では、今でもそのようなことは行われていないであろう。教会を離脱するときに、牧師と信徒間での多少のトラブルはあるかも知れないが、牧師が教会を訴えた話など他教団では聞いたこともない。

統一教会を脱会した村上密牧師は、統一教会流の脱会者や反対者への陰湿ですさまじい妨害•中傷•陰謀工作を、プロテスタントのキリスト教界に初めて持ち込んだ人物である。彼はこうして、統一教会を脱会し、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に入って、クリスチャンを名乗るようになってからも、かつての統一教会流のカルト的二元論的思考を捨てられず、それをそっくりキリスト教界に持ち込んで今日に至っている様子が見て取れる。そして、そんなもはや正義の味方からはほど遠い残忍で利己的で真実の欠ける自分の姿を、未だに聖なる存在であるかのように勘違いして、他のクリスチャンの名誉を貶めたり、争いをしかけて平和な信仰生活を妨害し、力づくで反対者を黙らせ、気に入らない教会を取り潰して併合することを「牧会活動」だと勘違いしているのである。正常なクリスチャンにとっては大変な迷惑な存在でしかない。そのような異常な活動が牧師のあるべき「牧会」からはほど遠く、神の御名にふさわしいものでもないことは、クリスチャンでなくとも理解できるものと思う。教会の目的はキリストの福音、すなわち、神の御子の贖いによる罪の赦しを宣べ伝えることにあって、贖いを語らず人を罪に定めることにはないからである。
 
次回、鳴尾教会と、村上サイドによっていわれなく濡れ衣を着せられた信徒たちの名誉のために、津村昭二郎氏が辞職に至った経緯を記した教団内文書を公開し、改めて村上サイドの主張の危険な特徴と虚偽性について考えたい。

<続く>
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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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