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ジョージ・ミュラー、『祈りの力』、pp.145-148(マルコーシュ・パブリケーション)

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
 私はわざわいを恐れません。
 あなたが私とともにおられますから。
 あなたのむちとあなたの杖、
 それが私の慰めです。」


ここで私たちは、詩篇の作者が彼の人生の中には最も大きな試練、最も大きな苦しみを通過することもあるのだということを認めていることに気づきます。それどころか、命の危ういような、死の試練をも通ることを予測しているのです。

しかし彼の口から出る言葉は「たとい、死の陰の谷を歩むことがあっても、私はわざわいを恐れません」というものでした。なぜそのように言うことができたのでしょうか。私たちが偉大な医学の力を持っているからでしょうか。とんでもありません! 墓の一歩手前にいるような状態で、私たちは肉体的な力を頼りにすることができるでしょうか。そうではありません。全くの反対です。

本当の理由は、主イエスが私たちと共にいてくださるからです!

「私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」


ああ、何というすばらしいことでしょうか。主は私たちが涙の谷を通るときも、私たちと共にいてくださり、私たちのことを心配してくださるのです。

私たちがいつも以上に主を必要とするとき、親友として、助け主として、支えとして主を必要とするとき、主は決して私たちを見捨てず、見放されることもありません。最も厳しい、最も大きな試練に襲われるとき、死の寸前にまで追いつめられるとき、また私たちの心も体も尽き果ててしまうようなとき、私たちはこの言葉を告白しましょう。

「あなたが私とともにおられます。私の尊い主イエスよ。あなたは私とともにいてくださいます。あなたは決して私をお見捨てになってはおられません。私が弱く、全くどうしようもない状態にある今も、あなたは私とともにいてくださいます。あなたは全能の主、私の友、支えてくださる方、慰め主、私の力であられます」

何と貴重な恵みでしょうか。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」

愛する神の子供たちの中には、真に生まれ変わった神の子供であるにもかかわらず、死の瞬間をいまだに恐れている人々がいます。

「私が死ぬとき、いったいどうなるのだろう」

と彼らは考えるのです。そのような方々は、どうぞ自分に言い聞かせてください。

「私はわざわいを恐れません!」

私たちが何者かであるからではありません。私たち自身に何かをする力があるからでもありません。ただ、このように書いてあるからです。

「私はわざわいを恐れません。
 あなたのむちとあなたの杖、
 それが私の慰めです。」

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「わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたが私の戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」(ヨハネ15:9-10)

「兄弟たちよ。あなたがたはイサクのように約束の子どもです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。

しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」

こういうわけで、兄弟たちよ。 私たちは奴隷の女の子どもではなく、自由の女の子どもです。」
(ガラテヤ4:28-31)


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