香港「民主化の女神」起訴内容認めるも信念維持訴え
テレ朝News 7/7(火) 18:40配信

 香港で「民主化の女神」と呼ばれた周庭さんの裁判が行われました。
民主活動家の周庭さんらが違法な集会に参加した罪などに問われた裁判が6日に開かれ、周さんは起訴内容を認めました。地元メディアに対して「認めることで刑が軽くなると考えた」と話しています。裁判後、周さんは「政治的弾圧は強まるが、香港人は民主・自由を求める信念を持ち続けてほしい」と訴えました。また、香港では「国家安全維持法」の施行を受けて当局が令状がなくても家宅捜索を行ったり、通信の傍受も可能になる規則が7日から適用されました。

 

筆者の考えでは、周氏は他の活動家と共に、いち早く香港を脱出すべきだった。

たとえそれがかなわなくとも、絶対に罪を認めてはいけなかった。否認し、抵抗しなければならなかった。

一部には、周氏が無理やり罪を認めさせられたのではないかという懸念の声も上がっており、別のメディアでは、裁判が長引くことによる団体への悪影響を懸念したなどの指摘もある。

もしかしたら、他に家族などの弱みを握られて、抵抗できない状態に置かれている可能性もある。

だが、それにしても、筆者は周氏が政治団体からの離脱を表明するまでの最後の一連のツイートを読んだとき、彼女がすでに自分の人生をあきらめ、抵抗をやめているかのような印象を受けていたため、これは彼女自身の決断だろうと感じた。

だが、非常に恐ろしいのは、キリスト者が裁判にかけられ、罪を認めるなどということは、絶対にあってはならず、もしそのようなことが起きれば、その出来事には一般人以上に霊的に深い意味があるということだ。

さらに、それをさて置いても、彼女が香港国家安全維持法に反対しながら、同時に、起訴内容を認めるなどの行為は、自らが反対している法の効力を認めるも同然である。

なぜそんなダブルスピークが成り立つのか。

「認めることで刑が軽くなると考えた」

と、本気で考えているならば、事態の深刻さを理解していないのではないかと言わざるを得ない。ただし、それでも、司法取引のようなものがあって、実際に情状酌量が起きうるとか、一種の出来レースのような何かの約束があるならば、話は別なのだが。

だが、そんなことがあるように筆者には思えない。

周氏は、過去に3度逮捕されたことがあったようだが、その際には、長期間、拘留されることもなく、保釈金を払って出ていたようだ。従って、中国共産党政権が本気で人民を弾圧するとき、何が起きるのかを、彼女が身をもって十分に体験・理解していたと言える状況はない。
 
しかし、彼女は最悪の事態の可能性を自ら認めるようなことも述べている。

周庭氏「収監の心の準備ある」 香港公判で
2020.7.6 23:08|

 【香港=藤本欣也】昨年6月、香港の警察本部前で違法集会を扇動したなどとして起訴された民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏らに対する公判が6日、香港の裁判所で行われ、周氏は起訴内容を認めた。8月に判決が出る予定。周氏は報道陣に「収監される心の準備もしている」とした上で、香港国家安全維持法について、「政権による弾圧を阻止することができない」などと懸念を表明した。

 
香港国家安全維持法が想定している最高刑は無期懲役である。

なぜこのような危険な言葉を自ら発さねばならないのか。
 
以下の記事を読むと、これまでの香港では、司法はコモンロー(英米法)を採用し、裁判官のほとんどが外国籍であったため、政治活動家が収監されても、せいぜい1ヶ月程度で出て来られるという事情があったことが分かる。
 
これまでのそういう事情から、香港国家安全維持法に怯えていた周氏でさえ、この法の下で収監されることを軽く考え、突如、前科もない者に、いきなり無期懲役が言い渡されることなどはないと、最後の希望を託しているのかも知れない。

だが、今は香港の体制が根本的に変わり、裁判も以前とは全く違うものとなってしまっていることが、以下の記事には記されている。
 

習近平はなぜ香港国家安全維持法を急いだのか?
 2020年7月7日(火)11時05分
遠藤誉(中国問題グローバル研究所所長)

上記の記事では、「香港国家安全維持法の目的は外国籍裁判官の無力化すなわち、コモンローの支配を事実上死滅させて、これを中国共産党のコントロール下に置くことにあると告げている。
 
「2020年6月30日に全人代常務委員会で可決された「香港維護国家安全法」は、その日の夜11時から発効し、香港で実施されることとなった。日本語的には「香港国家安全維持法」と訳すのが通例になっているので、ここでもその名称を使うこととする。

同法は大きく分けると、「国家分裂罪、国家転覆罪、テロ活動罪、外国勢力と結託し国家安全を害する罪」の4つから成り立っているが、中でも注目しなければならないのは第四十四条である。第四十四条には以下のような趣旨のことが書いてある(概要)

香港特別行政区行政長官は、全てのレベルの裁判所の裁判官の中から、若干名の裁判官を選び、国家安全に危害を及ぼす犯罪の処理に当たらせる。

行政長官が指名した裁判官の任期は1年とする。

裁判官の任期内に、万一にも裁判官が国家安全を侵害するような言動をしたならば、直ちに国家安全担当裁判官の資格を剥奪する(筆者注:もし任命した裁判官が不適切だった場合は他の裁判官を指名することができるようにして、北京の意向通りに判決を出す裁判を常に執行させる。だから任期も短い)。

国家安全犯罪に関する裁判は国家安全犯罪担当裁判官が審議する(筆者注:外国籍裁判官に民主活動家の裁判を担当させない)。

これは何を意味しているかというと、これまで何度も(これまでのコラムで)書いてきたように、香港は中国に返還されるに当たって、イギリス統治時代に使ってきたコモンロー(英米法)を採用することになったため、司法もコモンローに従い裁判官もトップ以外は全て外国籍だ。最高裁判所も高等裁判所も、かつてのコモンウェルス(イギリス連邦)の国々(イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)の国籍の裁判官によって構成されている。

だから民主活動などによって逮捕されても、裁判ではせいぜい1ヵ月ほどの懲役刑が科せられるだけで、まるで小旅行にでも出かけたような爽やかな顔をして出所してくる。

そのため昨年は逃亡犯条例改正案を香港政府に出させて中国本土で裁判にかけようとしたが、激しい抗議に遭い廃案になってしまった。

そこで今年は、全人代常務委員会が香港の司法を実際上は直接管轄するような形にしてしまった。司法におけるコモンローの弊害(西側諸国にとってはメリット)から逃れようとしたのが、今般の香港国家安全維持法の目的なのである。

懲役刑として最高刑で無期懲役まで許されるように定めていることからも、その目的は明らかだ。」 

 
これを読むと、周氏がこれまでの香港において政治活動家が裁かれたのと同じように、コモンローの支配下にある外国籍裁判官のもとで裁かれることは有り得ないと分かる。

一言でいえば、香港国家治安維持法が対象としている国家分裂罪、国家転覆罪、テロ活動罪、外国勢力と結託し国家安全を害する罪に該当する恐れのある「政治犯」は、今や香港特別行政区行政長官が1年の任期で特別に任命した国家安全犯罪担当裁判官だけが担当すると決められているのだ。

つまり、政治犯をこれまでのように外国籍裁判官(コモンロー)のもとで裁かないためにこそ、国家安全維持法が施行されたというわけだ。

だから、この新しい法制度のもとで行われた裁判で、周氏が起訴事実を認めたというのは、極めて絶望的な状況を意味する。これまでのように1年足らずで、すぐにもとの生活に戻るなどほぼ考えられないことだ。

とはいえ、今回、周氏が起訴された容疑が、違法な集会への参加、扇動の罪であることを考えると、これを全面的に認めた場合でも、いきなり終身刑にはならない可能性が残る。

香港国家安全維持法(全66条)、全訳しました 中国当局がなんでもできる体制ができた
7/5(日) 10:30配信

以上の記事に訳されている全文を読む限り、軽くて3~5年、重くて10年間の懲役当たりが想定される。

とはいえ、その場合でも、公民権の剥奪はほぼ免れられない。政治活動の続行は全面的に不可能となる。

また、最初の判決は比較的軽いものであったとしても、その後の態度次第で、服役途中に刑が追加され、中国本土の裁判所に身柄を送られて、さらなる刑期の追加がなされたりして、生涯、刑務所から出て来られなくなる可能性が考えられないことではない。

日本語が得意な周氏が「普通語」が苦手だと述べていたことを思い出す。中国本土に送られれば、もはや消息は途絶えるだろうと思われる。
 
そのような恐ろしい事態を逃れる方法は二つ考えられる。

香港国家安全維持法の第5条にはこうある。

「第5条 国家の安全を脅かす犯罪の防止、阻止、および懲罰のため、法の支配の原則が遵守されなければならない。法律で犯罪行為として規定されている場合は、法律にのっとり有罪判決が下され、罰則が科される。法律で犯罪行為として規定されていない場合は、有罪判決を受けることはない。
いかなる人でも司法機関に有罪判決を下されるまでは無実と言える。容疑者、被告およびその他の訴訟関係者が受けるべき弁護権およびその他訴訟の権利は保証されるものとする。<後略>」



まず第一に、「司法機関に有罪判決を下されるまでは無実と言える」というこの項目。

起訴事実を認めただけでは、有罪ではない、と法自らが述べている。

従って、判決の言い渡しがなされるまでは、100%無罪ということだ。

だから、8月に判決が言い渡される前に、国外に脱出する道がまだ残っている。

しかし、肝心の周氏が、逃げようと思わないと予測されることが、筆者には恐ろしい。

次に、香港国家安全維持法の全文を読んでみたが、この法が、施行前に起きた事実にまでさかのぼって、人を裁くことのできるような規定を筆者は見つけられなかった。

周氏が「違法な集会」に参加したとか、扇動したとか言われている起訴内容は、いつの時点のものなのか。少なくとも、法が施行される前に起きた事実であることは間違いあるまい。

だとすれば、どうやってこの法を施行される前の過去に適用して人を裁くというのか。

たとえ周氏が起訴事実を認めたとしても、そんな滅茶苦茶な法解釈がどうやって成り立つのだろうか。

このあたり、やはり、無神論・唯物論的・グノーシス主義者特有の時間軸を捻じ曲げたこじつけ的解釈というものを、筆者はどうしても感じざるを得ない。

彼らには常に時を遡って過去に回帰しようとする願望があるらしい。

そういうわけで、香港ではあまりにも絶望的で恐ろしい事態が展開しているように見えるし、時すでに遅しのようにも思われがちだが、もしも周氏が本気で立ち上がって抵抗しようと願いさえすれば、いくらでも抵抗のしようがあるのが現在なのだ。

今から弁護士をつけるなどして、国際社会に呼びかけ、自由になるためにあらゆる抵抗をすることも不可能ではない。

だが、判決が言い渡され、収監されてしまえば、もはやどこにも逃げることはできなくなる。
 
筆者は、彼女に限らずだが、我々すべての人々が、できるだけ早い段階で、自ら立ち上がって、自分の言葉を力強く発し、敵の押しつけて来るすべての不当な罪状は跳ね返し、両手、両足にはめられようとしている枷を打ち壊さなくてはならない、と考える。

ここで言う敵とは、悪魔と暗闇の勢力のことであるが、とりわけ、唯物論や無神論に基づく政権が、キリスト者にとっては、まさに敵の思想から非常に強い影響を受けていることは言えよう。
 
だが、私たちの抵抗は、まず心の中で、敵の圧迫を跳ね返すこと、不当な濡れ衣を着せられることを拒否すること、そして、言葉における敵との激しい論戦で打ち勝つことから始まる。

まず、絶対に、私たちは決して共産党政権下で裁判にかけられてはならない。そのような事態は、それだけで呪いと言って良い。

次に、たとえそのような異常事態が起きても、全力で敵の理屈と戦って、生きている限り、無罪を主張しなければならない。

次に、それもできない場合には、敵が構築した裁判と判決から逃げなければならない。最後に、絶対に収監されないように敵の領土から逃げなければならない。
 
周氏の場合、可能な限り、早く国外に出るのが最善なのだと筆者は確信するが、筆者は周氏の6月末のツイートを読んだときから、彼女は一切の抵抗をあきらめて、共産党政権に身を任せようとしているのではないかという気がしてならず、非常にそのことを恐ろしく感じた。
 
周氏は香港パプテスト大学の学生だというから、キリスト教徒なのではないかという気がするが(信仰の有無については筆者はよく知らないが)、この事件に筆者は、たとえて言うなら、ウォッチマン・ニーを想起させるような、非常に悲劇的なものを感じる。

周氏が「女神」などと呼ばれていた点も、ウォッチマン・ニーの持っていた悲劇的なカリスマ性と、何かしらよく似たところがあるように思うのだ。

筆者の前で、多くの人々が、共産党政権下で20年間投獄されて、最後には監獄を移送する際にトラックの上でぼろ切れのように死んだウォッチマン・ニーの最期を美化し、「彼は神のために命を注ぎだした」と言って涙を流した。

Dr.Lukeも、ウォッチマン・ニーを賛美し続けている一人として知られている。

だが、筆者はウォッチマン・ニーの最期を美化するつもりは全くなく、そういう「悲劇」は、私たちが全力で打破しなければならない敵の嘘であると感じている。

かつて筆者はMr.Sugarというキリスト者を名乗る兄弟から「獄中のウォッチマン・ニー」という手記を得て、これを筆者自身が訳し、Mr.Sugarに預けたことがある。また、当ブログにも掲載していた。

今、筆者が十年前に訳した手記はインターネット上で別のサイトに掲載されている。筆者が努力を傾注したものだから、それなりに良訳にはなっているのではないかと思う。

だが、ウォッチマン・ニー好きな人たちは、著作権など全く無視して人の作ったものを勝手に複製し、転載して行くという特徴があるため、それが筆者が訳したものだということは全くどこにも明記もされていない。
 
しかし、今、他者のサイトに無断で掲載されているその手記の内容を改めて読んでも、筆者は、これが本当に信仰の証なのだろうかと首をかしげざるを得ないのだ。非常によく出て来た美談のように見えるが、何かが違うという強烈な違和感がある。

なぜニーは共産党政権による迫害に全力で抵抗し、自由を得ようとしなかったのか。主に従うために代価が必要だということだけは正しいが、だからと言って、私たちは時ならずして非業の死を遂げる必要はない。

なぜこの悲劇の運命に抵抗することをしなかったのか。

私たちは一体、無神論政権の命令に従順に従わなければならない義務を負っているのだろうか。

筆者はノーだと答える。

無神論政権の命令に従うことと、私たちの主イエス・キリストの御言葉に従うことが、一体、どうやって両立するというのだ。考えれば分かるはずだ。

ウォッチマン・ニーは香港にいた際、危険だから中国に戻らない方が良いと忠告した兄弟たちの制止を振り切って、あえて共産党政権下中国に戻って行ったのだと言われている。

その判断は、本当に正しかったのかどうか、筆者はこれを疑う。

中国に足を踏み入れた時点で、彼の運命は決まっていたのだ。

筆者には、その運命が、周氏と重なってならない。

ところで、筆者にウォッチマン・ニーの著書を強く勧めたMr.Sugarは、かつてローカルチャーチにいた人物であるが、自身のブログでも、ウォッチマン・ニーの著書を紹介し続けていた。

その後、杉本徳久がウォッチマン・ニーを紹介していた当ブログを非難すると、Mr.Sugarは、ブログで二―を紹介することをあっさりとやめて、ブログ執筆もやめてしまった。

その後、年月を経て、Mr.Sugarは今や当ブログの存在に最も強く反対し、杉本徳久と同じように、筆者にブログ執筆及び裁判を止めるようにと強く求めた一人となった。

要するに、執筆活動をやめ、自己の主張を全て脇に置いて、裁判においても、自己の正当性を一切、主張せず、論敵の言い分をすべて受け入れるようにと求めたのだ。

それは、周氏のようにすべてを投げ捨て、ついには殺されることにまでも同意せよと言っているようにしか筆者には聞こえない。

だが、それは悪魔の言い分の前に何一つ抵抗・反論せずに、もろ手を挙げて降参し、自分が犯してもいない罪のために塔獄され、人生を失うことに同意せよと言っているのと同じである。

そのようなことを一体誰が人に求められようか。

しかし、筆者はこれまで、犯してもいない罪を認めるようにとの脅しを幾名からも、幾回にも渡り、受けて来て、その度毎に、これを粉砕し、撃退して来た。

どんなに危ういところに追い込まれたように思えるときでも、その都度、神が筆者を助け出し、信仰の証や、身の完全な潔白を主張し続けられるように、すべてを整えて下さったのである。
  
Mr.Sugarの息子は、三人いたが、二人が統合失調症になり、そのうち一人は自殺を遂げた。それだけではない。ウォッチマン・ニーを愛する人々の集会には、実に多くの数、娘や息子を自殺で失った人たちがやって来ていては、互いに慰め合っていた。それから、彼らが当たり前のように犯し続けている著作権侵害の罪・・・。

そうした事実のことを考えると、筆者は、どうしても彼らの言い分が正しいとは思えず、そのように「悪魔に抵抗しない生き方」を選び取れば、待っているのは、悪魔に最も好都合な無駄死にだけであるとしか思えなかったのである。

そういうわけで、筆者は、ウォッチマン・ニーを賛美する人々とは一線を画し、彼の非業の死を一切賛美などしないことに決めた。そんな中で、筆者が訳した訳文までもが、他人の功績として誇示されているのは、皮肉のようではあるが、筆者はこれを二度と掲載しようとも思っていない。

ウォッチマン・ニーは研究者肌の人間だったようだが、周氏は、大学の科目の中でも、論文は苦手だったようで、研究者にはならないと発言していたらしい。結局、二人とも、自分の言葉を述べ続ける道を断念し、口を封じられてしまった。

もちろん、周氏の運命はまだ決まっておらず、中国から有罪判決を突きつけられる前に、何とかして国外へ脱出して欲しいと、それが最善である筆者は思うのだが、それでも、以上のような予感が心に去来するのを止めることができないのだ。
 
筆者は、沈黙するつもりはない。敵の嘘を打破するための唯一の手段が、私たちが真理の証を公然と続けることにあると知っているため、サタンとの間で、連日、繰り広げられる言葉の激戦を回避するつもりはない。

神の御言葉こそが、敵の要塞をへし折るための最も強力な武器なのだ。

たとえあなたがサムソンのように誤りを犯したと思うことがあっても、今、気づけば、あなたの髪の毛はもう伸びている。

偽りから自由になりなさい。立ち上がって、振りほどきさえすれば、あなたを縛っている手かせも足かせも落ちる。ペリシテ人の神殿の柱に全力で手をかけなさい。そうすれば、敵の神殿は崩れ落ちる。紅海を渡りなさい。敵の追っ手は途中で溺れ死ぬから。

神はあなたを自由にして下さったのであり、あなたは立ち上がって、その権利を行使しなければならない。

悪魔は、我々の兄弟たちを告発する者、
     昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者」(黙示録12:10)
であり、

私たちがこの敵に打ち勝つ方法は、

 「兄弟たちは、小羊の血と
  自分たちの証しの言葉とで、
  彼に打ち勝った。
  彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。」(黙示12:10-11)

すなわち、「小羊の血潮」に固く立って、身の潔白を主張し続けることと、

私たちを自由にしてくれた御言葉に立ち、自分たちの「証の言葉」を保つことだけである。

これが続けられないような環境に自ら身を置いてはならない。

当ブログは、筆者が小羊の血潮によって永遠に罪を洗い清められ、贖い出され、救われたことを示すために宣べられている証の言葉であり、神の子供たちは世の光であるから、これを山の上から灯のように掲げることを、私たちはやめることはできない。

悪魔は、連日のように私たちにありもしない「起訴事実」やら「罪状書き」やらを突きつけて来るであろうが、私たちはこの悪魔の言い分を撃退・粉砕せねばならない。

その言い分を一切、認めてはならず、それどころか、敵のトリックがいかに不法と歪曲に満ち、論理破綻しており、悪であり、嘘であり、そのトリックによってキリスト者を欺き、罪を着せることが不可能であるか、私たちはいついつまでも論証を続け、敵の嘘を主張し続け、その論理の崩壊していることを公然と世に示さなければならない。

それによって、私たちは敵の要塞を破壊し、自由を獲得することができる。

それができる武器は、すべてを切り分ける諸刃の剣のような神の御言葉だけなのである。

だから、筆者は今日も味気ない「論文」を書き続けている。そして、まことの裁判官なる神に直訴するために、悪魔の所業の悪なることを、嘘に満ちていることを論証し続けている。

そして、贖われた身である自分の完全に潔白なることを敵の前で主張し続けている。

これはおそらく生涯に渡って続く地道な論戦であり、どんなにそれが味気ない徒労のように見えたとしても、こうして証を守ることこそ、神が独り子なるキリストを地上に送り、十字架につけてまで、私たちのために与えて下さった自由を守るための最強かつ唯一に近い手段なのである。

だから、語り続けることをやめてはならない。あなた方の証をテーブルの下に置いて、闇の中に隠してはならない。世の光であること、地の塩であることをやめてはいけない。

それができないような環境に、自分から行ってはいけない。
 
「わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。」(2コリント10:3-5)

「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。」(ヤコブ:4:7) 

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。」(ヘブル11:6)